リビングウィルを考える【難病と私5】

このブログは、サルコイドーシスや難病の仲間に向け書いています。

ここでは、難病になって4年の私が、難病や老いについて考えた事など 経験も交えて書いています。

 

初めまして、モモタ侍と申します。

4年前、突然 指定難病のサルコイドーシス(サ症)になりました。

サ症は、体中にできる肉芽(にくげ)と言うできものが、体の正常な機能を妨げる病気です。

症状は人それぞれですが、私の場合、痛みしびれ疲れ が辛いです。

*サ症の詳細は、難病情報センターHP→ さ行→84サルコイドーシス をご参照下さい。

難病・生きる

サ症を発症して4年が経過しました。

その間、数えきれないくらいの体調の波(良い時、悪い時)を繰り返してきました。

幸い、昨年のステロイド治療以来、体調はかなり安定しています。

しかし、安定したなりの体調の波はあって、辛い時は不安になる時があります。

ステロイドと言う、”最後の一手”を打った今、サ症が増悪しても、もう打つ手はない?。

薬の副作用が強く出て、ステロイドが使えなくなったらどうなるだろう? などです。

恐らく、このような気持ちは、この先も一生繰り返すのだと思います。

 

一方で、このような状況が続くことに慣れて来た部分もあります。

それに伴って、短気で、神経質だった性格も、少しずつ変わっていくように思います。

 

難病になった当初、自分の運の悪さを恨み、怒り、嘆き そればかりの時期もありました。

そんな思いが、今でもフツフツと湧き上がる事は時々あります。

しかし「まあ、細かいことは、どうでも良いか」と思える自分も大きくなりました。

 

例えば、私が参加する、市の難病者・障害者当事者委員会で「差別」について議論する事があります。

私も難病の当事者として、多少なりとも差別的なモノを感じ、経験する事があります。

一方、少し形は違っても、病気になる前の社会/会社生活でも同じような経験はありました。

以前は、健康だったので、そう感じにくかっただけに思えたりもします。

私特有の感じ方かもですが、結局、多数派の原理、人による部分が大半とも考えています。

もし、世の中の大半の人がサ症であれば、病気による差別は感じないでしょう。

逆に、健常な人が差別される世の中になるかもしれません。

また、差別をする人/しない人は、どんな状況でも、したり/しなかったりするのが私の経験です。

する人との接触を極力減らし、しない人に囲まれて暮らせば、幸せに暮らせるかもしれません。

 

最近、身内の老いを見ていると、多少の知性があるだけで、人も他の生き物と変わらないと感じます。

社会的地位のある人も、老いと共に社会性が弱くなり、常識的な部分が薄れ、本来の理性むき出しになっていきます。

最初は、その状況を、情けなく、さげすみ、そして悲しい目で見ていました。

しかし、最近では、自分も含めて ”こんなものか” と思えるようになりました。

言葉使いが正しいのかわかりませんが、物事を少し大局的に見れるようになった気がします。

リビングウィル・老い

3年程前に、市の難病相談支援センターで、リビングウィルの講習会を受けました。

治療法の無い難病になり、年齢的にも役に立つかも?と思ったのがキッカケでした。

 

    研修前、リビングウィルとは、延命治療や尊厳死と言ったワードと同意と理解していました。

    しかし、私の受けた研修のリビングウィルのポイントは、以下の点で少し違っていました。

    • (死に方でなく)今から死までの間、いかに生きるかを考える。
    • 一方的な宣言でなく、宣言に至るまでの作成過程が大切。
    • 家族、医師、支援者と話し合い、納得し合いながら作成する

    リビングウィルは延命措置の要否だけでなく、自分の誕生~死までの物語作り。

    「死までをどう生きたいか」を、意識を無くす前に伝えるためのツールと言う内容でした。

     

    テキストに「人は、人と人の間に生まれ、人と人の間に生き、人と人の間で死んでいく存在」とありましたが、まさにその通りだと思います。

    老いと共に、常識や社会的な部分が薄れていく、と言う話を心療内科の先生から聞きました。

    身内の例でも、老いにより社会ルールを軽視し、結果、ご近所と問題が発生した事がありました。

    本人は「好きにさせてくれ」と言いますが、社会の為、本人が晩節を汚さない為、放置は出来ません。

    その結果、身内の中で亀裂、葛藤や衝突が起こります。

    「老い」に係わる一番難しい部分だと思いました。

     

    生死に係わる話は、簡単では無い、と実感する事は、他にもあります。

    「いつ死んでもよい」と言ってる人も、その多くは、それが身近なものになると、極度に恐れます。

    身内を例にとっても、尊厳死協会に加盟して、会費も払って、延命は不要と高らかに宣言していた。

    しかし、腎機能が悪化し、1ヵ月ももたないと言われ、あっさり透析(延命措置)を行いました。

    身内(私含め)も、二つ返事で同意し、尊厳死は有名無実なものとなりました。

    と同時に、これが生と死に係わる現実なのだと思います。

     

    また、延命措置については、具体的に決めないと機能しないことも研修で習いました。

    例えば、私のサ症を例にとると、以下のようになります。

    サ症は、悪化して肺が固くなると、最悪、呼吸不全を起こすケースがあります。

    その際、措置方法別に、下記1~5の「する/しない」を決めておかないと対処できません。

    1. 呼吸不全を改善する薬剤投与や酸素投与治療をする/しない
    2. マスク式人口呼吸器を使って酸素吸入をする/しない
    3. 2で改善しない場合、口からチューブを入れて酸素吸入をする/しない
    4. 3で改善しない場合、気管を切開してチューブを入れて酸素吸入する/しない
    5. 4で改善しない場合、どうするか?

    4.については、患者の痰を吸い出す時、痛みの表情を浮かべる時があり介護者にも辛いとの経験談が書かれていました。

    そんな事も想定して、事前に話し合いをしておく必要がある訳です。

    生死に係わる議論は、関係者全員で時間を掛けて、深く、具体的でないと役に立たない。

    一方で、生きてる時に、そんな議論が、現実問題として可能か? 難しいなと思います。

    また、それ以前に、緊急であれば、救急車を呼ぶ/呼ばない の判断も必要です。

    救急車を呼ぶと言うことは、イコール延命措置をすると言うことにつながります。

    身内が目の前で苦しんでいるのに、救急車を呼ばないのは、私には不可能に近く思えました。s

    最後に

    サ症と言う難病になって、一度きりの人生での大きな経験と思えることもあります。

    もちろん、難病にならなければよかった。

    もし、ステロイドが効かなければよい経験とも思えないだろう。

    いろいろな気持ちが、毎日渦巻いています。

    その中で、私に関して、確実に良かったと言えることは、

    • 物事を前向きにとらえる習慣がついた
    • 人との比較でなく、自分の価値基準でモノや人を図れるようになった。
    • 以前より、少し大局的に、おおらかに物事を判断できるようになった。

    でしょうか。

     

    最後まで読んで頂きありがとうございました。

    肺サルコイドーシス 私の場合【サ症4】

    このブログは、サルコイドーシスや難病の仲間に向けて書いています。

     

    初めまして、モモタ侍と申します。

    約4年前(2017年夏)、50歳を目前に、サルコイドーシス(サ症)*と言う指定難病になりました。

    サ症は、肉芽(にくげ)と言う肉の塊(かたまり)が体中にでき、正常な機能を妨げる病気です。

    私のサ症は急性で、 肺、目、神経、皮膚、肝臓、脾臓など 全身にあります。

    つらい自覚症状は 痛みしびれ疲れ です。

    *詳細は、難病情報センターHP→ さ行→84サルコイドーシス をご参照下さい。

     

    自然寛解を視野に3年間、経過を見てきましたが、肺の影が徐々に濃くなり、呼吸機能も低下、咳や息切れなどの自覚症状も強くなりました。

    そこで、20年の夏に、ステロイド剤(プレドニン)内服による治療を始めました。

    ここでは、実体験を基に、特に私の肺サ症を中心に、症状、経過、治療など 書いています。

    サ症の症状は、千差万別で、あくまで一例ですが、何かのご参考になれば幸いです。

    尚、当記事はあくまで私の患者としての体験で、医学的なことは必ず専門医にご確認下さい。

    発症と肺門リンパ節の腫れ

    ここでは、私のサ症の発症、肺門リンパ節の腫れ、気管支鏡検査の体験について書いています。

    発症~確定診断

    17年春頃 、当時住んでいたモスクワ(ロシア)で関節痛や疲れなどを感じ始めました。

    その後、6~7月にかけて、飛蚊症、下肢の腫れ いろいろな強い自覚症状がでました。

    8月に帰国して検査入院、9月に大阪の大学病院でサ症の確定診断を得ました。

    私のサ症は、下記3つを特徴とする、急性サ症(レフグレン症候群)と言う日本では珍しい型でした。

    1.関節炎 2.下肢の赤いブツブツ(結節性紅斑) 3.肺門リンパ節の腫れ

    (参考URL) 日呼吸会誌43(12),2005.多彩な症状を呈したサルコイドーシス(レフグレン症候群)の1 男性例

    肺門リンパ節の腫れ、気管支鏡検査

    肺に関しては、発症時、あまり強い自覚症状は、ありませんでした。

    しかし、レントゲンを撮ると、左肺に入道雲のようなモクモクとした影が写りました。

    後で、これがサ症に特徴的な、肺門リンパ節の腫れ であると知りました。

    一般的には両肺に、このような影(BAL)がでるそうですが、私の場合は左側に出ました。

    【ご参考】 肺の画像の推移と経過です。

    • 17年8月頃:左肺(左端の写真、肺の右側の中央部)に入道雲のような影(肺門リンパ節の腫れ)が見つかりました。
    • 18年10月頃:入道雲が崩れ始め、破裂、破片が飛散し始めたような状態になりました。
    • 20年7月頃:左右の肺の影が広がり、呼吸機能も低下、自覚症状も強くなりました。
    • 20年8月頃:入院してステロイドの内服治療を開始しました。

    [char no=”3″ char=”モモタ侍”]肺の異常は、海外からの一時帰国での人間ドックで、たまたま見つかりました。 これがサ症の早期発見につながり、ラッキーでした。[/char]

     

    検査入院後すぐ、サ症の確定診断の為「気管支鏡検査」を使った肺の組織検査をしました。

    気管支鏡とは、肺に入れる内視鏡のようなものでした。

    サ症(多くの難病も)の場合、短時間で、簡単に病名を確定できる検査は無いようです。

    なので、いろいろな検査で他の病気の可能性を排除し、結果としてサ症に絞るようでした。

    昔から胃腸が弱く、内視鏡検査は苦になりませが、気管支鏡検査は、結構痛くてつらかったです。

    検査前に、音が出るボールを渡され「つらい時は握って教えて下さい」とのこと。

    痛いので、何度もボールを握るのですが、その度に、なんとも緊張感に欠ける音がでます。

    おまけにボールはドラえもんの顔の絵で。。。

    麻酔で朦朧としながら「この痛みは、きっと伝わらないんだろう」と絶望的な気持ちになっていました。

    朝一からベットに寝たまま検査室に向かい、終了まで2~3時間 掛かったと記憶します。

    肺サ症の経過

    ここでは、サ症の血液マーカーや、肺の自覚症状の経過を書いています。

    今のところ、心臓にサ症は無いので、一番命に係わる、と言う意味では肺の症状です。

    血液マーカー

    私の場合、サ症の活動性ACEとsIL-2R肺サ症の活動性KL6と言う血液数値で見ています。

    上記がその推移です。

    (ACE, sIL-2推移)

    • 発症時、非常に高い超異常値で、その後、急下降しました。
    • 急下降後、異常値のまま高止まりし、上下の波を繰り返していました。
    • 20年8月ステロイド治療開始と同時に、正常化しました。

    (KL6推移)

    • 発症時、KL6の値は 、684と正常値(500以下)より少し高い程度でした。
    • その後、非常にゆっくりと上昇し続け、一時1000以上になりました。
    • ステロイド治療開始に、少し遅れて下降し正常値になりました。
    • ステロイドを減量すると、再び、上昇し始め、異常値になりました。

    上記は私の呼吸機能検査の経過です。

    • 指標としている FVC、DLco*は18年11月頃から(KL6上昇と反比例に)徐々に低下。
    • 20年2月の検査で異常値になり、肺の画像が悪化、咳などの自覚症状も強まりました。

    *FVC (努力肺活量) :胸いっぱい空気を吸い込み、勢いよく吐いた空気の量を測定。  DLco(ガス拡散能力):肺からどれくらい体の中に酸素が取り込まれるか測定。

    肺の自覚症状

    肺の自覚症状の経過を下記します。

    発症時、左肺に特徴的な影以外、自覚症状はあまり感じませんでした。

    • 17年3月頃~ :階段などを上るとひどい「息切れ」が発生。
    • 17年8月頃~ :胸の「強い痛み」が発生し、その後も継続。
    • 19年6月頃~ :呼吸時に左胸上部でゴロゴロ、ヒューヒューと音がして徐々に強まる。
    • 19年9月頃~ :痰(たん)のからんだ咳がでて徐々に強まる。
    • 20年1月頃~ :むせるような咳が続く、胸の圧迫感で深呼吸が出来ず、歩くと息切れがする。

    サ症では、非特異的全身症状と呼ばれる、息切れ、痛み を訴える患者さんが多いと書かれています。

    なので、私の息切れ痛みは、全てが直接、肺の原因によるものではないかもしれません。

    ステロイド治療

    発症時から、つらい痛みやシビレを、非ステロイド系の薬で対処してきました。

    肺は、徐々に画像が悪化、呼吸機能が低下し、自覚症状も強まりました。

    現在、これらに対しては、ステロイドによる治療が一般的です。

    ただ、ステロイドは大量に長期で使えば使うほど、将来、高い確率で副作用に悩まされます。

    呼吸器内科の主治医は、私の50歳と言う年齢と、将来の副作用を 慎重に考慮し、治療開始時期を見極めて下さいました。

    20年7月、目安としていたFVC(努力肺活量)70%を切った為、8月に入院してステロイド治療に踏み切りました。

    結果として、私のサ症には、ステロイド(プレドニン)が良く効きました。

    濃かった肺の影が、数日で薄くなり始め、自覚症状も嘘のように消えて行きました。

    現在、私のサ症への適切なステロイド使用量を、経過を見ながら探っています。

    【ステロイド治療に関する体験談です。ご参照頂けると幸いです。】

    1. ステロイド 私の副作用対策【サ症体験記】

    最後に

    レフグレン症候群は一般的に予後が良く、自然寛解もあると書かれています。

    一方、私のように高齢発症でサ症が全身にあるのは予後不良要因とも書かれています。

    発症から既に4年を迎えようとしていますが、ある意味最後の手段であるステロイド治療も行いました。

    ステロイドは良く効きましたが、減らすと再燃する傾向にあります。

    やはり、私のサ症は一生付き合って行くもののような気がします。

    今は、QOL(生活の質)を維持しながら、いかにステロイドの量を減らすか、が一番の課題です。

     

    最後まで読んで頂きありがとうございました。

    親を離れて見守る 方法【実体験】

    このブログは、親の見守り必要な方に向け書いています。

    初めまして「モモタ侍」と申します。

    私は50歳過ぎの普通の会社員です。

    約3年前に難病のサルコイドーシスになりました。

    私には高齢の両親がいて少し離れた所に住んでいます。

    ここでは、セキュリティ、オレオレ詐欺、免許返却など親の見守りを実体験に基づき書いています。

    親の高齢化と問題点

    両親は日常生活を送れているので何も問題はないと思っています。

    一方、私から見て、社会とのズレ老いによる心配事は年々増えています。

    この家族と両親の認識のズレが高齢化の一番難しい問題と感じます。

    両親はずっと今の家に住んでいるので引っ越しする気はありません。

    私も、昔、高齢の祖父が引っ越したら、すぐボケた経験があり、

    また自分の家族や難病のこともあり今、同居は考えていません。

    そこでみんなで話し合いながら離れて見守れる対策を取っています。

    親の見守り(体験談)

    下記に実際に起こった事例に対する対策、体験を書きました。

    何かお役に立つことがあれば幸いです。

    家のセキュリティ

    ご老人の孤独死の記事をよく見ます。

    本人にとって本当に孤独かどうかは別として

    老いた両親が元気にしているか?は心配ごとの一つです。

    そこで、家のセキュリティも兼ねて以下の対策をしました。

    1)プロによるセキュリティ強化

    • セ〇ムと契約、家全体のセキュリティを見てもらう。
    • プロのノウハウ、経験に沿って的確な対策。
    • 例)赤外線センサー、道路側のスポットライトなど。
    • セ〇ムのシールも牽制に役立つとのこと。
    • 24時間体制で見守りと定期巡回サービス。
    • 一度、両親に連絡がとれず、実際に家に入ってもらいました。

    まず、第一弾の対策としてかなり安心できました。

    2)見守りカメラの設置

    外部からの侵入者&親の見守りの為、カメラを設置しました。

    カメラには 防犯カメラとネットワークカメラがあります。

    (防犯カメラ概要)

    • 玄関や駐車場に設置し、録画した内容を後で確認出る。
    • 設置することで犯罪の抑止効果もある。
    • 録画、撮った画像確認の為、ハードディスクなど録画機が必要。

    (ネットワークカメラ概要)

    • 外出先からリアルタイムで家の屋内外の見守ができる。
    • マイク機能でリアルタイムにコミュニケーションも取れる。
    • 動作をとらえてスマホに通知してくれる。
    • 本体にSDカードを挿入し録画できる
    • 暗闇の撮影も防犯カメラに劣らないものも有り。

    ニーズよりネットワークカメラを購入。

    セキュリティ会社に依頼すると高いので、通販で買い自分で設置。とても良いです!

    (私のネットワークカメラ)

    商品名 KAME-SOLAR
    製造元 塚本無線
    価格 1台:13,000円弱と安価
    電源、ネットワーク 本体と一体のソーラー電源、実家のWi-Fi利用
    録画 マイクロSDカード、別売り/アンケートに応えるとプレゼント有り
    その他
    • アプリはウェブより無料ダウンロード。
    • QRコードで他のスマホとシェア。家族で見守り中。
    • 被写体の動きに対する感度もよい。
    • 夜間の撮影も比較的鮮明。

    オレオレ電話詐欺

    高齢者を狙った巧妙な電話詐欺をニュースでみます。

    私が海外に住んでいた時、実際に詐欺の電話があり母が撃退しました。

    詐欺について両親とした事前の取り決が大事でした。

    (オレオレ詐欺防止の取り決め)

    • 週1回は、身内の誰かが両親に電話をして近況を聞く。
    • お金のことで子供から電話しない、両親から電話する取り決め。
    • 不自然な時は両親から電話を掛けなおす。

    詐欺の声は本人かどうかとても判別しにくかったとのこと。

    まず、定期的な親とのコミュニケーションが予防の第一歩と考えます。

    運転免許の返還

    実家はバス停が遠く、近くにスーパーがありません。

    その為、父は運転免許の返上に迷っていました。

    父の80歳頃から運転にヒヤッとすること多くなりました。

    それで、周りのみんなで父に運転をやめるよう勧めました。

    最初は車が無くなる不便さから、急には決められない様子。

    時間を掛けて少しずつ説得しました。 具体的には

    老人の運転ミスによる事故のニュースを見た時、

    父に同乗し危なかった時に説得。

    車が無くなった時の生活スタイルを一緒に考える。

    例えば、食材の宅配利用、私が行くときに買っていくなど。

    結果、85歳で自ら免許を返上し、問題なく暮らしています。

    運転能力の低下は本人では気付きにくい。

    第三者から根気よく勧めて上げる必要があると実感します。

    実家の掃除、メンテナンス

    私は家族と10年間海外に住んでいました。

    その間、両親二人で頑張ってくれていました。

    帰国して実家に頻繁に通うといろいろ問題が見えてきました。

    が、家がゴミとホコリが多い、カーペット、お風呂、窓など汚れたまま。

    食事と身の回りのことは出来ても力仕事などが出来なくなっていました。

    そこで、思い切って掃除業者を入れて、両親と一緒に断捨離をしました。

    また、カーペット、壁紙も変え、収納も今の軽量で機能的なものに一新。

    古い家ですが手を入れるとそれなりに快適になりつつあります。

    古いからと諦めずに少しずつでも改善することが大切と感じました。

    現在、毎月行った時に私が部屋全体に掃除機を掛けるようにしています。

    大切と感じたこと

    下記、両親の問題を解決していて大切と感じたことです。

    • コミュニケーションを多くとり、みんなで確認し合いながら進める。
    • 時間を掛けて相手に寄り添って少しずつ進める。
    • 両親のプライドを尊重して進める。
    • 支援者(家族、医師、ケアマネ)と情報共有し巻き込みながら進める。
    • 子供側の気持ちだけで進めすぎないように。

    最後に

    高齢化の問題は、本人を責められない場合も多く

    一方で目の前の課題を解決しなければならない、難しさがあります。

    正解が無い課題が続くとみんなにストレスが溜まります。

    ただ、やってはいけないことは絶対軸がブレないよう

    みんながベストまたはベターに近い解決策にとことん知恵を絞ること。

    ネットや支援者からいろいろな意見を聞くこと

    などが大切と言うのが経験に基づく結論です。

    何年か後には自分にも起こる事と教訓にしたいとも思っています。

     

     

    最後まで読んで頂きありがとうございます。

     

     

    難病から学ぶ 自分らしく生きる【難病と私4】

    このブログは、サルコイドーシス(サ症)や難病の仲間に向けて書いています。

    ここでは、2017年、50歳目前で急性の難病を発症。

    辛い事や良い事もあった難病体験を通し気付けた、自分らしい生き方について書いています。

    あくまで個人的な意見ですが、サ症や難病で不安を感じている方々の、何かのお役に立てれば幸いです。

     

    初めまして、モモタ侍と申します。

    2017年の夏頃、突然、サルコイドーシス(サ症)と言う指定難病になりました。

    サ症は、肉芽(にくげ)と言う肉の塊(かたまり)が体中にでき、正常な機能を妨げる病気です。

    症状は人それぞれですが、私の場合、痛みしびれ疲れ が、つらい自覚症状です。

    *詳細は、難病情報センターHP→ さ行→84サルコイドーシス をご参照下さい。 

    大病も良い経験と思えること

     サ症は、寛解する可能性も高い反面、その一部は長期化し、難治化します。

    他の難病と同じく、サ症の発症確率も約10万人に1人と言われ、そんな病気を発症した私は、とても運が悪ようにも思います。

    一方で、難病になって良かった。とは言えませんが、ならなと得られない、貴重な体験を多くしました。

    難病にならなければ、決して見る事のなかった世界が、今、私の前には広がっています。

    心のつかえが取れたこと

     私は、社会的地位や学歴の高い人が多い家庭環境に育ちました。

    なので、そう言った価値観に縛られると同時に、そうでない自分に劣等感を持ってきました。

    他方、自分の中には、人間性や道徳観など、理想とする人間像がありました。

    これら、二つの価値が、矛盾しながらも、私の中で共存していました。

     

    会社に入り、尊敬でき、素晴らしい多くの先輩方に出会いました。

    不登校だった私が、集団生活を続けられたのも、それが理由だと信じます。

    一方、その多くの方が、(私が勝手に思う)その人にふさわしい役職では、ありませんでした。

    それでも、いつかは理想と現実が一致すると信じていました。

    しかし、会社の経営悪化と共に、両者のギャップは更に広がっていきました。

    海外で、ある程度の権限と責任を与えられ、今度は自分がその理想になろう、と必死でした。

    そんな頃、サ症を発症し、理想を叶えること、それ以上に一番大切な健康な体を失いました 

     

    帰国し、入院した病院の相部屋では、多くは命の危機に面した人達を見ました。

    多忙な看護師さんを呼びつけては、偉そうな物言いで、命令をする人。

    手術前の食制限の言いつけを無視して、盗み食いをする人。(誰のための手術?)

    救急で運ばれ、命が危機的状態なのに、家に置いて来たペットの餌を気にしている人。

    これら全ての患者さんに、医療従事者は、誠実・平等・粘り強く、接してられました。

    この病院の開祖は、次のような言葉を残していて、その精神が脈々と継がれているようでした。

    1. 名声や利益、安楽な生活を求めるのではなく、人のために生きなさい。
    2. 人は貧富の差で差別されるべきではない。
    3. 常に謙虚な心を持ち、相手を大切にしなさい。
    4. 苦しく、厳しい状況下であっても、万策尽きるまで努力しなければならない。

      この医療現場を見ていて、これまでの自分が恥ずかしく思えてきました。

      と同時に、長い間の心のつかえが取れた気がしました。

      地位や名誉と言った、既存の価値観が薄れてつつある今、自分が尊敬していたもの、自分の絶対的価値に基づき、正直に人に向き合え始めれています。

      そこには、もっとフラットで、もっと広がりやつながりのある自由な世界がありました。

      この50年間の人生で一番自分らしく、自分に正直に生きれてる瞬間に思います。

      この光景を見せてをくれた、サ症に感謝しています。

      やりたいことは、その日のうちに

      病気以前はやりたいことを先送りにする傾向がありました。

      いつかどこかへ行こう、いつか何かを買おう、いつか何かになろう など。

      しかし、残された時間は限られているかも? と感じてから、全てを前倒し始めました。

      この習慣が流れを変えてくれたように思います。

      人生は一度きり明日何が起こるかわからない、ならば今を生きよう、とサ症は私に教えてくれました。

      • 「この先の長い人生」と考えると、辛いこと、苦しいことばかりが思い浮かぶ。
      • 「この世で残された時間は限られている」と考えると、一分一秒がもったい。

      自分に照らしても、人間はなんと身勝手な生き物か、と思います。

      しかし、どうせなら後者のように考えて生きた方が、間違いなく得です。

      そんな生き方をしている人を勝ち組と呼ぶのだ、と今は思っています。

      楽しいほうを選ぶ

      「石の上にも三年がまん強く辛抱すれば必ず成功することのたとえ)と言う故事が美徳のように教えられました。 

      しかし、今の私に3年も我慢している猶予はありません。

      また、我慢し過ぎた結果、難病になった感もあります。

      言葉は正しく理解した上で、実行しないと、大惨事を招くことを知りました。

      どうせ限られた時間なら、我慢より楽しい方を選ぶことにしました。

      今は、少しでも多くの楽しい事で時間が満たされるよう行動しています。

      これに関連して面白い本を読みました。

      早起き、満員電車がムリ! と言う理由で、大学をでて起業し、成功した方が著者です。

      表題は「嫌な仕事から逃げても生きていくための生存戦略」です。

      サラリーマン制度の陳腐化、正しいやりがいの搾取など、会社員30年の私が見ても、的を射て興味深い内容が多いです。

      この本も「楽しいことを選んで生きることの大切さ」を伝えています。

      【参考図書】 しょぼい起業で生きていく 著者:えらいてんちょう 出版社:イースト・プレス

      50年生きてみて、我慢を全否定する気はありません。

      社会生活では、我慢無しには次に進めないことがあるのも事実です。

      しかし、我慢が美徳と言った、昭和的な発想には疑問を感じています。

      出来る事なら、自分にとってより楽しい方を選択し続ける。

      令和の価値観はそんな感じでも良いのではないでしょうか。

      いろいろやってみる

      休職で仕事を離れて、職場以外に自分の居場所が無いことに愕然としました。

      そこで、リハビリ目的で、市の日本語ボランティア、難病者当事者委員、行政書士試験など いろいろ始めました。

      始めてわかったことは、私が、いつの間にか、会社と言う非常に狭い世界でしか通用しない人間になっていたこと。

      頭の中を、社会に適合するよう調整するのに、かなり苦労をし、時間が掛かりました。

      以前、趣味に生きる会社の仲間を軽蔑して診ていた時がありましたが、私こそ了見の狭い、軽蔑されるべき人間だったようです。

      私は、ある意味、自分を変える必要がない、仕事に逃げていたのだと思います。

       

      試行錯誤しながらも、活躍の場が広がると、心に良いサイクルが生まれ始めます。

      以前、海外で働いていた時、視野のせまい私に現地スタッフが、「バランスが大事」と教えてくれました。

      それは、仕事だけでなく、生きることも同じだと、今思います。

      いろいろな世界、人々、価値観、考え方にバランスを持って接する。

      人間の心身には、そんな状況、刺激が良いのだと思います。

      余談

      先日、テレビで(コロナ)ウィルスと(人の)免疫細胞戦いの歴史、みたいな番組を見ました。。

      脳を持たないウィルスや免疫細胞でさえ、誰かに使命を与えられ、互いに切磋琢磨しながら進化し続けていることを知りました。

      この番組を見ていて「私の難病も、何かの使命を与えられたのかも?」とふと思いました。

      サ症の発症前は、いくらもがいても、良い流れは来ず。

      発症後は、復職するも病気が増悪し、流れは更に悪くなりました。

      茫然自失の状態で休職をとり、流れに身を任せる時間が多くなりました。

      しばらくすると、不思議なことに、全てがスムーズに流れ始めました。

      私は、無理に自分の理想と現実のギャップを意地になりました。

      しかし、結局、流れには逆らえず、最後には体を壊してしまいました。

      もし、私も、自分の使命に従順に、流れが変わるのを待っていればその内に、良い流れに変わることもあったのでは?と今は思います。

      最後に

      難病になって、以前より死と言うものが少し身近に感じられるようになりました。

      社会的地位も名誉も財産も、次の世界には恐らく持って行けないでしょう。

      であれば、生きている間にどれだけ沢山の経験をしたか、どれだけ楽しく生きれたか、次の世代に何を残せるか。

      これらが、自分に正直に生き始めた、私の価値基準になっています。

      支援者(医師、難病支援センター)との関係【難病と私3】

      このブログは サルコイドーシス(サ症)や難病の仲間に向けて書いています。

      サ症のような難病は、病気と上手く付き合って行くことが、大切と言われます。

      私も、発症後、この4年間、病気との付き合い方を模索してきました。

      その中で有効だったのは、私のサ症に係わる人達(私、医師、その他支援者)の役割分担を決めておくことです。

      そうすれば、もし問題が起こっても、頼む人が明確になり、余計な不安が一つ減ります。

      私が実践して来た、役割分担の例が、何かのお役に立てばと思います。

       

      初めまして、モモタ侍と申します。

      私は約3年前にサルコイドーシス(サ症)と言う指定難病を発症しました。

      サ症は、体中にできる肉芽(にくげ)と言うできものが、体の正常な機能を妨げる病気です。

      症状は人それぞれですが、私の場合、痛みしびれ疲れ が辛いです。

      *サ症の詳細は、難病情報センターHP→ さ行→84サルコイドーシス をご参照下さい。

      病院、医師との関係

      難病は、病院や医師との、長い、場合によっては一生の付き合いになります。

      なので、自分の相性にあう医療環境を、自分で探すことがとても大切だと思います。

      私の病院は車で1時間程で、多い時は、月に2~3回/は検査、診療で通います。

      全てにおいて相性が良ようで、4年経った今でも、通うのが苦になったことはありません。

      以下の通りです。

      1. 自分の相性に合った専門医がいる。(遠慮なく相談でき、納得いく回答をくれる。医師との出会いは一期一会)
      2. サ症は、全身疾患なので、臓器別(縦)だけでなく、横断的に診てもらえる仕組み(例、総合診療)がある
      3. 一つの臓器を、多角的な視野、治療方針で診れるよう、複数の専門医がチームで動いている

      上記、条件を満たすのは、やはり大学病院など いわゆる大きな病院だと思います。

      信頼できる医師団に出会う

      早い段階で自分に合った病院・医師に会えることは、不安やストレスを軽減するのにとても大切です。

      例えば、私にとっての信頼できる医師像です。

      • 自分の性格にあう、相性の良い医師。
      • 話しやすく、なんでも聞いてもらえる
      • 質問に対して、素人でも理解・納得できる回答が得れる。
      • 医学的だけでなく、患者の心も考えて診てもらえる。

      私は、神経/呼吸器/循環器内科、眼科、神経科 を受診しています。

      医師との相性が良いと、通院が多くても全く苦になりません。

      大きな病院では、医師の選択肢も多く相性の良い医師に会うチャンスも広がります。

       

      遠慮なく質問、依頼する

      私は痛み、シビレ、疲れがとても辛い自覚症状です。

      この辛さえ除いてもらえば自分のQOLは大きく改善します。

      が、伝え方が未熟で「ステロイドを使って下さい」とよく言いました。

      ある時期、痛みがとても辛くて思ったままに

      「痛みが辛くて日常生活が送れません。何とかしてください」

      とお願いしたら、痛みやシビレを取り除くいろいろな対策をしてもらえました。

      学んだのは、患者は自分の辛くてたまらない自覚症状と場所だけ伝えればよい。

      (えらい)お医者さまにそんなこと言えないと悩んでる方が仲間相談にこられます。

      が、自分の体は自分で守る。私の先生方はハッキリ聞いても的確に答えて下さいます。

      私(サ症当事者)の役割

      当時者としての私の役割は、とにかく体と心の状態を安定的に保つことです。

      その為に、いろいろな投薬を試したり、QOL(生活の質)を上げる取組みをしたり、病気を受入れる訓練をしたりします。

      この4年、ステロイド、免疫抑制剤や漢方薬など いろいろな薬を試して来ました。

      歩いて足の筋肉をつけ、ストレッチで呼吸機能を高め、マッサージで下肢や首の辛い症状に対処し、QOLを上げてきました。

      病気を少しずつ受け入れ、心の不安感を取り除く取組みをしてきました。

      まず、当事者である私が元気であれば、周りのみんながハッピーもあると実感します。

      日々の症状を日記につける

      大学病院の専門医はたくさんの外来患者を診ています。

      時間が無い中で、患者がとりとめなく話すと医師にも負担が掛かります。

      スムーズな会話は患者、医師 双方の信頼関係にも大切と思います。

      私は毎日の体調を日記につけ、そのまとめを準備して受診します。

      • 毎日の体調を〇、△、✖で日記につける。
      • 前回からの症状の推移、新たに出た問題。
      • 特に改善して欲しいことがあれば強調。

      大学病院の場合、医師は大学生を教える教師でもあります。

      患者が病気を学ぶ姿勢も好ましく映るのではないでしょうか?

      私と医師との役割

      私のサ症について、私と医師との役割分担は以下の通りです。

      1.私の役割

      1. サ症の当事者として、病気の概要を知る。
      2. 検査数値に沿って、健康管理(歩く、お酒を減らす など)をする。
      3. 経過観察時に、前回からの健康状態を具体的、かつ簡潔に説明する。
      4. 特に、辛い/取り除いて欲しい自覚症状があれば、医師に依頼する。

      2.医師の役割

      1. 私の情報に基づき医学的な治療や投薬方針をアドバイス、決定してもらう。
      2. 経過観察において、定期的な必要な検査のスケジューリングをしてもらう。

      例えば、私の場合、一番辛いのは、痛みの自覚症状です。

      私の役割は、医師に、辛い痛みの症状を伝えることです。

      痛む時期、種類、特徴などを、日々メモに取り、要約して医師に伝えます。

      サ症の痛みは多彩、かつ複雑なので、あの手この手を使って、根気よく伝えます

      自覚症状が上手く説明出来れば、私の役割は終わりです。

      次は医師の役割で、専門知識と技術を駆使して、痛みを取る対処をして下さいます。

      医師の役割部分について、素人の私から(質問はしても)口出はしません。

      役割分担に基づく信頼関係に基づき、医師と日頃から情報のキャッチボールをする事は、とても大切です。

      ステロイドを使って下さいと何度も頼んだ時期がありました。

      しかし、最近少し理解出来て来たのは、医師は臨床経験に沿って

      総合的に判断して治療のタイミングを決めていること。

      • ステロイドの副作用の確率の高さ。
      • 私が生きる期間とステロイドが体に与える影響。
      • サ症に対するステロイドの効果と副作用を天秤にかける など

      結果、ステロイドを使わず2年経過出来ている事実が今あります。

      ふと去年亡くなられた有名な俳優さんの言葉を思い出しました。

      「医学的なことは(信頼できる)医師にまかせる、それがダメなら寿命」

      支援者

      難病において、的確なアドバイスをくれる支援者を持つことは、精神面でもとても大事です。

      保健所など行政(医療費助成制度)

      長く付き合っていく難病にとって、医療費助成制度の活用は、とても大切です。

      この申請手続きを、市の保健所で、サポートを受けながら、毎年しています。

      私が毎年行っている、医療費助成制度 申請の実体験は以下の通りです。

      1. サ症の確定診断を受けた病院で、臨床個人調査票を作成してもらう。
      2. 申請書と必要書類を、保健所でチェックしてもらい提出する。 
      3. 都道府県の支給認定を受けると特定医療費(指定難病)受給者証が送付される。(申請から3カ月ぐらいかかる)
      4. 経過観察で通院する病院(私は確定診断の病因と同じ)の支払い時、受給者証管理表を出すと給付が受けれます。

       

      下記1か2を満たすと難病法の医療費助成の対象となります。

      1)重症度分類

      • サルコイドーシスの確定診断がある。
      • 重症度分類等に照らして病気の程度が一定以上の場合。

      2)軽症高額該当

      • サルコイドーシスの確定診断がある。
      • 高額な医療の継続が必要と認められた場合

      尚、正確な情報は、難病情報センターHP→ 医療費助成制度 をご確認下さい。

      難病支援センター

      難病やサ症は希少疾患なので、仲間も情報も少なく、孤立し不安になりがちです。

      その為、問題を一人で抱え込み、何度も心が折れそうになります。

      そんな時、難病支援センターの取組みへの参加が私を勇気づけてくれました。

      障害者手帳や特定医療費受給者証を提示すると無料や安価でサービスを受けれます。

      以下に、私が実際に参加している市の支援センターの活動を紹介します。

      1.就労相談会

      突然、難病になった私にとって一番不安だったのが仕事(収入)のことでした。

      難病は外見から症状が見えにくく、無理なハードワークで病気を増悪させる話をよく聞きます。

      他でもない、私もその苦い経験をした一人です。 

      そんな時、病気との向き合い方、働き方のアドバイスをくれるのが就労相談です。

      ハローワークから難病職業サポーターが参加し、現状に基づく最善策を提案してもらえます。

      私の場合、体も心も痛めていたので、まず休職を取っては?と貴重なアドバイスを頂きました。

      また、アドバイスだけでなく、会社側との話し合いにも実際に参加し、サポートして下さるそうです。

      働き方に悩んでいる/迷ってる方は、一度、相談してみてはいかがでしょうか。

      2.学習交流会(講演会)

      定期的に指定難病別の学習交流会(講演会)があります。

      医療従事者、医師など が講師で、治療、投薬、症例などの最新情報がわかります。

      その他に、心のケア方法、リビングウィルなど いろいろな角度からの講習会もあります。

      昨年、受講した ステロイド 東洋医学 の講習会も、私の病気に役立ちました。

      難病の場合、自分の病気を理解するのは、とても大切だと実感します。

      支援者にも有用な情報が得られるので、一緒に参加すると支援の輪が広がると思います。

       3.仲間相談

      私はサ症の仲間相談員に登録しています。

      サ症仲間の悩みを聞き、時に病気の辛さを共有し、自分を見つめなおす場でもあります。

      相談員と患者さんはフラットな関係で、同じ辛さ持つので気持ちもよくわかります。

      話をしていると、思わず泣き出す方もおられます。

      しかし、泣いた後は心が少し軽くなるのか、最初より明るい顔で帰られます。

      少しでも、誰かの役に立てたと言う、充実感を得ることができます。

      尚、詳細は、難病情報センターHP→難病相談支援センター をご参照下さい。

      最後に

      難病支援センターのセミナーに参加しました。

      講師は、こんな厳しい時期でも、経営好調なIT企業のオーナーの方でした。

      社員さんは、ほぼ障害のある方とのこと。

      その社員構成は意図したものでなく、働き易さを追求した結果だそうです。

       

      コロナ禍により、今後、テレワークの需要が急速に増すだろうとの話がありました。

      これは、サ症により、通勤が辛くなった、今の私には朗報です。

      その時に備え、前向きに準備をしておこうと希望の持てる情報でした。

       

      最後まで読んで頂きありがとうございました。

      サルコイドーシス症状 私の場合【サ症3】

      このブログは、サルコイドーシスや難病の仲間に向けて書いています。

       

      初めまして、モモタ侍と申します。

      2017年の夏頃、突然、サルコイドーシス(サ症)と言う指定難病になりました。

      サ症は、肉芽(にくげ)と言う肉の塊(かたまり)が体中にでき、正常な機能を妨げる病気です。

      症状は人それぞれですが、私の場合、痛みしびれ疲れ が、つらい自覚症状です。

      *詳細は、難病情報センターHP→ さ行→84サルコイドーシス をご参照下さい。

       

      私のサ症は、日本人には珍しい、レフグレン症候群と呼ばれる急性のサ症です。

      短期間に、本当に様々な症状が、全身にでました。

      ここでは私が体験した様々な自覚症状とその経過について書いています。

      サ症の症状とその経過は人にそれぞれで、あくまで一例ですが何かのご参考になれば幸いです。

      私のサ症と症状

      難病センターのHPによれば、サ症の症状は大きく次の二つに分かれると書かれています。

      1. 臓器特異的症状   :眼、皮膚、肺など 侵された臓器による症状
      2. 臓器非特異的全身症状:侵された臓器とは無関係に起こる、痛み、シビレ、疲れなどの全身症状。

      私の自覚症状の一つである息切れは、一見、肺機能の問題のようですが、呼吸する筋力低下(の可能性)とも書かれています。

      臓器/非臓器、いずれの問題か、自分では判断できず、医師と体の状況を共有するのが難しいです。

      私の体験した症状

      17年4月頃からひどい疲れ、息切れを感じ始めました。

      17年9月に検査入院し、サ症の確定診断を受けた後から、たくさんの自覚症状が出ました。

      発症初期に出た、私のおもな自覚症状の主なものを下記します。

      場所 症状 現状 期間(西暦)
      飛蚊症(目の前をタピオカ状のモノが飛ぶ) 残存
      17/7月~
      光視症(目を閉じているのに時々、光が差し込む) 解消 17/7~10月
      皮膚 結節性紅斑(両下肢に赤いブツブツが出来た)
      結節性紅斑は短期間で消えました。
      解消 17/7~10月
      両肺門リンパ節腫れ(肺に入道雲状の影)、
      1年半経過後、息をするとゴロゴロ音、咳など発生
      残存 17/8月~
      全身 ひどい疲れ(発症の数年前からあり) 残存 17/4月~
      全身 息切れ(階段などでハアハアする) 残存 17/4月~
      全身 シビレ(両下肢に痛み。親指、左半身が強い) ほぼ解消 17/9月~
      全身 痛み1(手/足に関節痛。痛む場所は日々移動) 残存 17/7月~
      全身 痛み2(触れるとピリピリ感、腰回り→胸回りに移動) 解消 17/7~11月
      全身 痛み3(胸など体内部の痛み。投薬で軽減) 残存 17/9月~

      1. 飛蚊症  :タピオカのように、透明なゼリーの中に黒い粒々が見えます。
      2. 光視症  :目を閉じてる真っ暗な中に光が差し込みました。
      3. 羞明   :辺りが非常にまぶしく感じました。
      4. ドライアイ:眼がとても乾きました。

      [char no=”3″ char=”モモタ侍”]ぶどう膜とは眼球全体を包むように広がっていて色・形がぶどうの実に似ているそうです。[/char]

      皮膚

      1. 結節性紅斑: 両下肢に痛みの無い赤いブツブツが出ましたが、半年ほどで消えました。
      2. 両下肢、足首が原型も無いほどパンパンに腫れました。
      3. 皮膚サ症:結節性紅斑が、消えた1年後、同じ両下肢に、皮膚サ症(赤いコリコリしたブツブツ)が出ました。 サ症の勢いが強まると、赤みを増して突起し、弱まると、赤みが薄れて平べったくなり、今も残存しています。

      1. 当初、肺に自覚症状はありませんでしたが、左の肺に入道雲のような影が見つかりました。
      2. CT/レントゲン画像は、時間経過とともに、白くなり、呼吸機能も少しずつ悪化傾向にあります。
      3. 1年経過したころから、息をすると胸がゴロゴロ鳴り、咳がで始めました

      内臓

      1. 自覚症状はありませんが、エコーで見ると肝臓と脾臓表面にツブツブあります。
      2. 生検の結果、サ症と確定しました。
      3. 肝臓の薬を飲むもγGTPは高値(異常値)のままで、サ症か薬の影響と思われます。

      ひどい疲れ、息切れ

      1. 走ったり、階段を上るとひどい息切れがしました。
      2. 仕事など少し頑張るとひどい疲れが起こりました。

      これらは確定診断の1年ぐらい前から感じていました。

      サ症では呼吸筋などの筋力低下が起こり、息切れや疲れがでると書かれています。

      いろいろな痛み、シビレ

      私のサ症の自覚症状の中で一番辛いのが痛みです。

      痛みが続くと、拷問を受け続けているような感じで、生活の質が大幅に下がります。

      これまで、下記のような、いろいろな痛みに悩まされました。

      1. 手首、腕、足首などに左右対称の関節痛が起こり、痛む場所が日によって変わります。
      2. 胸回りが痛みます。 体内部から来るような表現しがたい鈍痛で、本当に辛いです。
      3. 両足の甲を震源に下肢全体にシビレが広がっています。強い日は手先までシビレ、痛みを伴います。

      神経関連と思われる症状

      1. ふるえ :左手を中心にひどい震えが起こり、パソコンのキーも打てないほどでした。
      2. 耳鳴り :耳鳴りが起こりました。 
      3. 味覚障害:突然、食べ物の味がなくなりました。何を食べても同じ味で辛かったです。
      4. 立ちくらみ、フワフワ感:立ちくらみがひどく、歩くとフワフワ雲の上にいるような状態。
      5. 歩行困難:足の筋肉に力が入ず歩行困難になりました。 踏ん張れず一度階段から落ちました。

      シビレや神経症状は、非常に細い末梢神経の障害(小径線維ニューロパチー)だろうとのこと。

      上記の症状は9月の確定診断後、だいたい半年の間に発生しました。

      どの症状も、とても辛いものでしたが、大半は 3~4カ月の間に消えました。

      ふるえ、耳鳴りは残っていますがいずれも弱まったり、慣れたりしました。

      その他

        1. 微熱、寝汗:発症後まもなく微熱と寝汗が続きました。毎朝起きると布団がビチョビチョになっていました。
        2. 耳下腺の腫れ:耳~両アゴあたりが腫れました。おたふく風邪で腫れるのも耳下腺だそうです。横向きに寝ると顔に鈍痛がする為、常に上向きで寝るのがしんどかったです。

        いずれも数週間の間に解消しました。

        最後に

        以上がサ症と共に私に起こったほぼ全ての症状です。

        全体的に一度、症状が出ると数カ月は治りませんでした。

        しかし、時間は掛かりますが大半の症状はゆっくり弱まったり、消えたりしました。

         

        20年の夏に、ステロイド剤での治療を行い、いろいろな症状が劇的に弱まり、解消しました。

        しかし、シビレ、耳鳴り、飛蚊症などは、残っています。

        これらは、おそらく一生付き合うことになるのでしょう。

         

        私のサ症は、症状が良くなるのも悪くなるのも、非常にゆっくりしている気がします。

        慌てず、恐れ過ぎず、経過観察を怠らず、気長に付き合って行く病気のように感じます。

         

        最後まで読んで頂きありがとうございました。

        日本の緊急、救急、病院

        このブログは、日本に住む海外の仲間に向け、日本で役立つ情報を書いています。

        緊急、病院、役所、部屋を借りることについて書いています。

         

        初めまして「モモタ侍(ももたざむらい)」と言います。

        私は以前10年間 海外(フィリピン、ロシア)に住んでいました。

         

        今、日本では子供の数が減り、年齢(ねんれい)の高い人が増え、

        このままでは社会(しゃかい)が動かなくなるリスクを抱えています。

        そこで海外の若い人の力を借りるため、日本では昨年から

        外国人労働者の受入れ拡大(うけいれかくだい)が始まりました。

        日本のことを、もっと好きになってもらいたいと思いこの記事を書いています。

         

        救急車、警察、病院/ Ambulance , Police, Hospital

        ここでは緊急時(きんきゅうじ)の救急車や警察への連絡方法を書いています。

        Here I mention how to call Ambulance or Police in emergency case and Hospital.

        救急車 / Ambulance

        • どんな時: 夜中の急な病気(びょうき)、事故による大きいケガ、火事(かじ)の時
        • 電話番号: 119 (日本の電話)
        • どうする:
        1. 近くの日本人に助けてもらう。
        2. 119番へ電話し、どんな病気・ケガ?、場所(ばしょ)、住所(じゅうしょ)を言う。
        3. 日本語がわからない時は自分の国の名前(ベトナム、中国など)を言う。
        4. 通訳(つうやく)に代わってくれます。
        • When        : Sudden serious sick in midnight or serious physical injuries.
        • Call No.     : 119    (Japan dial)
        • How to do :
        1. At first , please ask the support of any Japanese nearby.
        2. Call No. 119 and tell the situation and the place or address of patient.
        3. When you can not speak Japanese, please inform your country name.  they will pass the phone to interpreter.

          詳しくはこちら→ 大阪市HP119番 、堺市HP119番  In case of Osaka or Sakai city please refer HP.

          警察 / Police

          • どんな時:事故、盗まれた時
          • 電話番号:110番 、緊急(きんきゅう)でなければ近くの警察(けいさつ)に行く
          • どうする:
          1. 近くの日本人に助けてもらう。
          2. 110番へ電話し、どんな事故、何を盗まれた?、場所、住所を言う。
          3. 日本語がわからない時は自分の国の名前を言う。通訳(つうやく)に代わってくれます。
          4. 保険(ほけん)のための証明書(しょうめいしょ)も発行してくれます。
          • When        : Sudden serious sick in midnight or serious physical injuries.
          • Call No.     : 110    (Japan dial)
          • How to do :
          1. At first , please ask the support of any Japanese nearby.
          2. Call No. 110 and tell the situation and the place or address of patient.
          3. When you can not speak Japanese, please inform your country name.  they will pass the phone to interpreter.
          4. You can ask the certification of accident for insurance to the police.

          病院 /Hospital

          • どんな時
          1. 緊急(きんきゅう)ではない病気。 緊急の時は119番
          2. 自分に合ったクリニック、医師を見つけることがだいじ
          • どこに行く
          1. 内科(ないか)、医院(いいん)、クリニック など近くの小さな病院(びょういん)
          2. 目(め)=眼科(がんか)、歯(は)=歯科(しか) へ行きます。
          3. 薬(くすり)は、近くのドラッグストア(ココカラファイン、マツモトキヨシなど)で買えます。
          • When         :
          1. Not emergent sick  .   In emergent case please call Amburance.
          2. It is important to find your suitable family doctor for future risk.
          • Where to go :
          1. Clinic near your house.
          2. Regarding Eye problem → Ophthalmology clinic , Teeth problem→ Dentistry clinic.
          3. You can buy a medicine at Drugstore nearby

          役所(やくしょ)の届け / Application to City hall or Ward office

          • どんな時:下の場合(ばあい)など 役所への届け出が必要です。
          1. 日本に入国(にゅうこく)した。
          2. 日本住所の登録、住所が変わった。
          3. 子供(こども)が生まれた。
          4. 中長期(ちゅうちょうき)に日本にいることになった。
          • どこに行く:自分の住所がある 区役所(くやくしょ)、市役所(しやくしょ)

           

          • When  : You must apply to the Japan government as below.
          1. When you enter Japan
          2. When address registration or change of address
          3. When the child was born.
          4. When the term to stay Japan is changed from short to middle or long term.
          • Where to go  : City Hall or Ward office

            詳しくはこちら→ 大阪市HP(届け出)市HP(届け出)     In case of Osaka or Sakai city please confirm here.

            住む部屋(へや)を借りる / Rent room or house

            • どこに:

            不動産仲介業者(ふどうさんちゅうかいぎょうしゃ) CHINTAI、エイブル、ミニミニ、センチュリー21などが有名です。

              • 外国人向けマンション・アパートが便利(べんり)なようです。
              • 家/部屋を借りる時、礼金/敷金(れいきん/しききん)、保証人(ほしょうにん)など 日本特有(とくゆう)のルールに注意(ちゅうい)下さい。
              • 外国人向けマンション・アパートには日本特有のルールが無いものが多いようです。

               

              • Where :

              Real Estate Agent or Broker.  CHINTAI, Able , Minimin and Century 21 etc are the well known agent in Japan.

              • Rental properties for foreigner is recommended .
              • Because Japan’s unique condition like “Reikin”, “Shikikin” and “Hoshokin” etc. is not sometimes included in the rental contracts.
              • Rental properties for foreigner dose not include those unique condition normally.

                外国人向けマンション・アパート エイブルHPCHINTAI HP

                最後に /At the end

                上記は日本に住むときにどれもとても大事なことです。

                外国人相談やHPを作っている市や町があるので事前に確認すると良いと思います。

                 

                 

                最後まで読んで頂きありがとうございました。

                Usually there is City consultation desk or phone service for foreigner per each City . Could you please confirm and ask the  consultation in advance.

                Thanks a lot reading this articles to the end.

                会社・仕事って何するの?【体験談】

                このブログは、今後、いわゆる大きな会社で働かれる方、大きな組織はどうなっているのか知りたい方に向けて書いています。

                 

                初めまして、モモタ侍と申します。

                私は、この30年間、何万人と言う社員がいる、いわゆる大きな会社で、働いて来ました。

                会社は、経営が傾き、最終的には外資の傘下になりました。

                悪い流れの中、4年前、突然 指定難病のサルコイドーシス(サ症)になりました。

                サ症は、体中にできる肉芽(にくげ)と言うできものが、体の正常な機能を妨げる病気です。

                症状は人それぞれですが、私の場合、痛みしびれ疲れ が辛いです。

                *サ症の詳細は、難病情報センターHP→ さ行→84サルコイドーシス をご参照下さい。

                 

                「会社の仕事って何するの?」と聞かれることがよくあります。

                私の会社は製造業で、IT、物流、経営管理など 本社の事務部門で20年勤務しました。

                その後、海外に出て、経営側として、生産や販売会社の経営を10年間 経験しました。

                 

                ここでは製造業の中心になる商品、生産、販売の大きな流れを、経験に基づき書きました。

                そして、各部門の目的や役割、具体的な業務内容についても書いています。

                あくまで、一つの例ですが、どの会社も基本部分は同じと思います。

                何かの参考になれば幸いです。

                会社が存在する目的

                まず「会社の仕事って何するの?」 に答えをだすと、こんな感じでしょうか。

                1. ブランド(過去からの蓄積や継承)を基に、人が集まり、知恵を絞り 新しい価値(モノ、サービス)を生みだす。
                2. その価値で人・社会に貢献し、対価であるお金で、人々(社員・家族)の生活を豊かにする。
                3. 残ったお金を、次/将来の価値作りに投資、このサイクルを繰り返す。

                1~3の具体例を、新しい価値=洗濯機とすると、以下のようになります。

                1. 洗濯機の発明により、家事に費やす時間が、(手洗いに比べ)大幅に短縮されます。
                2. 出来た時間は、バイトで追加収入を得たり、趣味の時間に当てたり、と人・社会貢献をします。
                3. また、対価としてのお給料で、人々の生活は豊かになります。
                4. 残ったお金を、電子レンジ、携帯電話など 次/将来の価値作りに投資します。

                  会社の仕事は、この洗濯機(人手を取らず勝手に洗濯してくれる)と言う生み出すこと。

                  これらサイクル(価値創造→社会貢献→投資)の中で、人・社会貢献することが目的と考えます。

                  会社の仕事の流れ

                  上記の存在目的に沿って、大きな会社は、仕事を単純化・分業化しいます。

                  例えば、製造業の仕事の大きな流れと、仕事の切り分けは以下のようになります。

                  1. どんなニーズを持った人(顧客)がどこに、何人くらいいるか把握する。
                  2. 顧客のニーズを満たす商品(モノ/サービス)アイデアを作り出す。
                  3. 商品のアイデアが、具体的なモノになるよう設計し、作業に落とし込む。
                  4. 商品を生産する。
                  5. 顧客に商品の存在と価値知ってもらい、実際の売買に結びつける。
                  6. 顧客に商品を配送しお金を受け取る。

                      上記の本流の中に、技術、開発、生産、企画、営業、物流部など があります。

                      側面支援部門として、経理、人事、総務、法務、IT、カスタマーサポートなど があります。

                      直接部門(プロフィットセンター)

                      本流の部門は、利益を生み出すことからプロフィットセンターと呼ばれます。

                      上記1~6と対比して各部門と仕事内容を紹介します。

                      尚、部門名は会社によって会社によって多少違うと思います。

                      1~2、商品企画部・マーケティング部

                      商品企画部・マーケティング部:顧客ニーズを調査・発掘し

                      それを元に、創り出す商品像を具体的なイメージにする部門です。

                      顧客ニーズを具現化でき、実務知識・経験を基に販売/生産部門間の調整を行う。

                      商品アイデア→具体的なモノに出来る人が担うべき部門です。

                       

                      サッカーで言うところの10番、製造会社のブレイン部門でやりがいは大きいでしょう。

                      しかし、広い視野、才能、現場経験、人間性などが要求されます。

                      そんなスーパーマンのような人が担うと、関連部門全員が幸せになると思います。

                       

                      作業は以下のような内容でしょう。

                      • 市場のデータ/実地調査などから、どんな人のニーズがどこに、どれくらいあるか。
                      • お客さんはそれの為にいくらお金をだすか(値付け)
                      • 同時に将来ニーズになるであろう種(シーズ)を見つけニーズに育てる。
                      • ニーズに応えるアイデア、販売台数/価格、採算など 商品像を具体化。
                      • 商品像についてデザイン、技術、販売部門などと構造設計の調整。
                      • デザイン、機能、値段など お客さんが納得する商品にまで調整・改善を繰り返す。
                      • 商品の市場への周知、拡散、お客さんへの認知度を上げる活動。

                      3~4.技術部/生産企画部/生産部

                      技術部:商品の具現化VE(バリューエンジニアリング)による材料・製造コスト削減が主業務です。

                      自分にしかない専門技術、スキルを活かした商品が世に認知されるのは至上の喜びと想像します。

                      • 商品企画部から依頼された商品像にデザインを近づける。
                      • デザインデータを基に構造設計し、コスト見積り。
                      • 目標製造コストを達成 に向け、材料や設計見直し(VE)によるコストダウン。

                       

                      生産企画部/生産部:生産計画の遂行、生産効率の追求と材料の在庫管理が主業務です。

                      • 販売計画に基づく生産計画の立案。
                      • 生産計画に基づく材料の発注先/仕入価格 交渉、材料納期/在庫管理。
                      • 生産効率を上げる為、生産ラインの人員割当、工程管理、品質管理。
                      自動生産ラインのイラスト

                      5~6.営業部

                      営業部:販売計画に基づく売決、受注、売上~回収まで一連の販売手続きを主業務とします。

                      古い発想ですが、売上トップで表彰され、自分の実績が評価直結するのは気持ち良いかもです。

                      • 商談・売決:販売計画に基づくディーラーとの商談、受注の取り付け。
                      • 新商品の売込み:新商品の説明会を実施しディーラーへの認知・売込み。
                      • 販売~回収:商品の売上~回収作業。
                      • 新規ルート・顧客開拓:販売拡大に向け販売ルート・顧客の発掘、開拓。
                      • 在庫管理:自社~ディーラー迄の在庫を滞留させないため、お客さんへの販促活動(セルアウト)。

                      間接部門(コストセンター)

                      1~6の本流がスムーズに流れるようサポートする部門が間接部門です。

                      野球に例えると、打線(商品)が振るわない今の時代、守備固めが大切。

                      経営管理の強化、グローバルな買収案件、国際税務や法律知識など、間接部門の役割は重要性を増しているように感じます。

                       

                      私が30年間務めたエリアですが、細かいことが苦手な私にはどうも合いませんでした。

                      ただ、これらのスキルを海外子会社の経営に活かせた時は至福の時間でした。

                       

                      自分のスキルと力で生きて行く事が求められる時代、会計士、税理士、弁護士など 士業やコンサルとして、将来のキャリアパス、独立を夢見れるエリアでもあります。

                      物流・アフターサービス

                      物流部:自社倉庫の受入れ、ディーラー倉庫への払出し。それに伴う実在庫の管理。 

                          最近は、物流専門業者にアウトソースするケースが多くなっています。

                      サービス部:顧客からの修理依頼・問い合わせ対応によるCS(顧客満足度)の向上、パーツ在庫管理。

                      修理の為の顧客訪問時に買い替えを進める営業手法も、新しい販売ルートになっています。

                      管理・間接部門(経理・財務、人事、法務)

                      経理財務部:適正な会計処理、税務処理、資金管理、滞留債権管理(売掛・在庫)。

                      法務部:契約書(売買契約や秘密保持契約、業務委託契約)を確認業務が主業務。

                      コンプライアンス・社内ルールの周知徹底なども行います。

                      人事部:将来ある人材の発掘、育成など、まさに人は宝であるを実現させていける部門です。

                      少子高齢化に向けて、多様性受入れによる良い人材の確保も今後の大きなテーマです。

                      最後に

                      日本経済が戦争復興で伸びていた時代、新しい物が出ると飛ぶように売れました。

                      しかし、今はモノ余りの時代、周りを見回しても、どうしても欲しいと思うモノはありません。

                      更なる新しい価値創造の為、私のいた会社でも次のような事が求められていました。

                      • 商品、サービスのパッケージ化により参入障壁の高い、利益確保の出来るビジネスモデル構築
                      • お客さんの購買意欲をかき立てるような独創的な商品作り
                      • 新規顧客・販売ルート開拓
                      • 製造~販売迄の全工程の見直し・効率化によるコストダウン。
                      • 会社の現金を増やす。(管理精度向上により、債権・在庫→お金の変換を早める)

                      私はバブル期の入社です。

                      華やかだった時代の影響もあり、宣伝、マーケティング部門にあこがれました。

                      しかし、会社が買収されるのを見て思ったのは、仕事は全てつながっていて、一つでも、どこかが欠けたり、弱ったりすると、会社全体がゆっくりと倒壊しだすことでした。

                       

                      最後まで読んで頂きありがとうございました。

                      楽しく働き、楽しく稼ぐ 【体験談】

                      このブログは、仕事が楽しくない、仕事が嫌で病みそう、と思われてる方に向けて書いています。

                      ここでは、集団生活が苦手な私が、会社組織の中で、30年間、楽しく働けた理由とその阻害要因。

                      どうしても楽しくない時の対処法について、自分の経験に基づき書いています。

                      多くの人は、働き、お金を稼がなければ生きられない。

                      人生の大部分を取られる仕事。 ならば、その時間をいかに楽しく過ごすか。

                      この記事が何かのご参考になれば幸いです。

                       

                      初めまして、モモタ侍と申します。

                      2017年、50歳を目前に、サルコイドーシス(サ症)と言う指定難病になりました。

                      私は、急性サ症(レフグレン症候群)で、当時働いていたロシアから帰国を余儀なくされました。

                      サ症は、体中にできる肉芽(にくげ)と言う できもの が、体の正常な機能を妨げる病気です。

                      症状は人それぞれですが、私の場合、痛みしびれ疲れ がつらい自覚症状です。

                      *サ症の詳細は、難病情報センターHP→ さ行→84サルコイドーシス をご参照下さい。

                      仕事が楽しかった理由と阻害要因

                      ここでは、私が楽しく仕事が続けられてきた理由を思い起こして書いてみました。

                      また、楽しい仕事の一般的阻害要因、及び私自身の経験も書いています。

                      仕事が楽しかった理由(私と仕事)

                      私は、子供の頃から、集団行動が苦手で、少し不登校気味の人間でした。

                      熱中できるものも、将来の夢も無く、あっても長続きしない、ある意味、普通の人間です。

                      そんな私が、不思議と30年間、苦も無く大きな組織で会社員を続けることが出来ました。

                      仕事の中身で悩んでも、会社に行くのが辛いことはありませんでした。

                      その主な理由について思い浮かんだことを下記します。

                      1. 業務知識、スキルを習得すること。それが繋がり、仕事の全体像が見えて行くのが楽しかった。
                      2. 尊敬できる先輩に多く出会えた。
                      3. 小さな努力でも、どこかで見ていてくれる人がいた。
                      4. 上記が繋がって、漠然とした夢だった海外の会社で経営に係わることが出来た。

                      仕事が苦にならずに続けられたのは、一つは、海外に出ると言う小さな夢があったこと。

                      もう一つは、転機、転機で、私を見てくれている人に出会えたこと、だと思います。

                      私は、会社生活の約2/3を、経理、システム、物流など、その中でも日の当たらない課で働きました。

                      どんな地味で評価の低い仕事でも、いつか海外で役に立つと思えることが、モチベーションでした。

                      また、腐りそうになった時、時に厳しく・時に優しくモチベーションを与えてくださる先輩がいました。

                      私の例ですが「小さな夢や目標」と「人との出会い」が30年間、楽しく働けた理由だと思います。

                        サラリーマンvsビジネスマン(楽しい仕事の阻害要因)

                        次に楽しい仕事の一般的な阻害要因、と思われることを書いてみます。

                        1. 自分の目標となる/尊敬できる人が周りにいない。(人間性、うつわ、実行力など)
                        2. 仕事の価値観が合わない人(サラリーマンvsビジネスマン)が自分の評価者。
                        3. 給料が安いのに、上が詰まって昇格/昇給チャンスが、限りなく少ない。
                        4. 早起きが辛い、通勤が長い。

                          上記2.に関し、仕事には①サラリーマン②ビジネスマンと言う2つのタイプが存在します。

                          ①サラリーマン:人(=上司)に忠実。「NO」と言ったことも、上司が変われば「YES」と言えます。

                          ②ビジネスマン:仕事に忠実。ビジネス理論に反すれば、上司が変わっても「NO」は「NO」です。

                          私は②に近かった為、この違いに長年苦しめられました。

                          ①と②は、なぜか考え方が合わず、会社では①が圧倒的多数を占めていました。

                          ②は、①からみると組織に波風を立てる迷惑な奴、と言う存在のようでした。

                          その為、組織の上に行くハードルは高く、評価も低く扱われる傾向にあります。

                          しかし、海外の現場では、②はとても有用で、私も海外での10年間は、非常に充実していました。

                          まあ、私の会社員生活、トータルするとトントンでしょうか。

                          今後は、大きな組織でも発想、付加価値の提案が出来ない人は消えて行くでしょう。

                          ビジネスマン志向の人も、日の当たる時代が来そうです。

                          尚、上記4.が理由の方は、下記の書籍を読まれることを、お勧めします。

                          【参考図書】しょぼい起業で生きていく 著者:えらいてんちょう 出版社:イースト・プレス

                          それでも仕事が楽しくないとき

                          日本には簡単に仕事を辞めれない/変えれない環境や風土があるように思います。

                          「継続は力」、「石の上にも三年」などの格言がそれを象徴しているでしょう。

                          私もそんな家庭環境で、これらの格言を真に受けて育ちました。

                          海外にいた時、本社の経営難が長引き、トップの一部はいなくなり、一部は思考停止になりました。

                          私は、海外の現場だけでも死守しようと、少し身の丈に合わない考えを起こしました。

                          バカ正直に困難に立ち向かい、難病発症、大切な健康を失うと言う、やってはいけない結果を招きました。

                          仕事を楽しもうとしても、逆らえない流がある、とその時、体験しました。

                          もし、そんな流れにのまれたら、健康を死守する為、勇気ある撤退も全然アリ、と今は思います。

                          私のような悲劇が、今後一つでも減るよう祈ります。

                           

                          海外の会社では人事も担当していました。

                          海外のキャリア形成は、仕事のスキルを磨く為、会社を変わりながら、待遇改善を図るのが普通です。

                          優秀な社員が会社に来てくれた!と喜んだのも束の間。

                          翌日には、良い条件のオファーがあったので、退職しま~す、と元気に去っていきます。

                          給料が安い、ビジョンが無い、上司がバカ、と言いたい放題言って、去っていきます。

                          日本にいると、島国なので世界の動きが見えにくいですが、海外はそんなもんです。

                          逃げ方の訓練も、これからのビジネスマンには必要なスキルの一つとかもしれません。

                          最後に

                          私にとって、仕事は、厳しい=辛い ではありません。

                          厳しい先輩について、ボロカスに言われても、その人を尊敬していれば仕事は楽しかった。

                          また、新興国での10年の経営体験は、非常にハードでしたが辛いと思ったことはありませんでした。

                          私は、組織内の属人的なしがらみで、仕事の基本が捻じ曲げられることの方が、よほど辛かったです。

                           

                          難病を発症して 生と死についても、いろいろ考えます。

                          • この世の物を来世には持って行けない。
                          • 残された時間は限られている。

                          そこから、悔いのない人生を送る為に、私がこれからやるべきことは

                          • 良い人生を送る為に、第一に守るべきは自分の健康
                          • 楽しい時間は少しでも多い方が良い(たとえ仕事中でも)。
                          • その中で、この国の将来の役に立つ何かを一つでも多くしたい。

                          だと思っています。

                           

                          最後まで読んで頂きありがとうございました。

                          難病って何? なぜ難病になったのか?【サ症2】

                          このブログは、サルコイドーシス(サ症)や難病の仲間に向け書いています。

                          2017年春に、サ症と言う原因不明の難病になり、4年が経過しました。

                          この間、難病って何か?調べたり、なぜ自分がなったのか?考えてきました。

                          ここでは、指定難病の定義や、(個人意見ですが)私がサ症になった心当たりを書いています。

                           

                          初めまして、モモタ侍と申します。

                          4年前、突然 指定難病のサルコイドーシス(サ症)になりました。

                          サ症は、体中にできる肉芽(にくげ)と言うできものが、体の正常な機能を妨げる病気です。

                          症状は人それぞれですが、私の場合、痛みしびれ疲れ が辛いです。

                          *サ症の詳細は、難病情報センターHP→ さ行→84サルコイドーシス をご参照下さい。

                          難病って何?

                          自分が指定難病(サ症)と分かった時、難病=余命は短い、と思い込み、将来に絶望しました。

                          現在、難病支援センターでサ症の仲間相談員をしていますが、同じ不安を持つ仲間によく会います。

                          しかし、難病情報センターHP に書かれている難病の定義は以下の通りです。

                          〇難病法の難病の定義

                          難病とは、下記、1~4の条件を全て満たすもの。

                          1. 発病の機構が明らかでなく
                          2. 治療方法が確立していない
                          3. 希少な疾患であって
                          4. 長期の療養を必要とする

                          指定難病とは、上記+次の1、2の条件を満たすもの。

                          1. 患者数が日本中で一定の人数(人口の約0.1%程度)に達しない。
                          2. 客観的な診断基準(それに準ずるもの)が成立している。

                          この定義を見ると、余命は(病気にもよるのでしょうが)むしろ長期の療養とあるように、長く付き合って行くタイプの病気と読み取れます。

                          例えば、サ症の場合、下記のように経過区分されていて、私のサ症の仲間で、2~30年付き合っている、と言う方も多くいらっしゃいます。

                          1. 短期改善型:2年以内に改善
                          2. 遷延型:2~5年の経過
                          3. 慢性型:5年以上の経過
                          4. 難治化型

                          私のサ症も既に4年経過しており、去年のステロイド治療開始後、安定しています。

                          こんな感じで長く付き合って行くのかな~、と今は考えたりしています。

                          (ご参考) 難病情報センターHP→ 国の難病対策 →2015年から始まった新たな難病対策 →4)指定難病とは?

                          なぜ私はサ症になったのか?(個人意見)

                          サ症の発症確率は、10万人に1人とか書かれています。

                          私は、昔から人に秀でたものもなく、くじ運も良くはありませんでした。

                          そんな私が、なぜ運よくor 運悪く?希少疾患を発症したのか?

                          私なりに医学書やネットなどを調べて、関連があると思ったことを3つ書きます。

                          ストレス要因

                          サ症とストレスの関係について、述べた症例報告*があります。

                          *サ症とストレスとの関与:日サ会誌2009;29:3-7

                          発症当時、私はロシアの日系子会社で働いていました。

                          欧州の経済制裁、通貨ルーブルの暴落などで、ロシア経済は厳しい状況にありました。

                          同じ時期に、日本本社が経営難が長期化して、最終的に、外資に買収されました。

                          これらにより、少数日本人がマネージする海外の現場は大混乱に陥りました。

                          そして、強く・大きなストレスが大波のように私を襲った頃、私はサ症を発症しました。

                           

                          私は、昔から組織や集団に上手くなじめない人間でした。

                          しかし、会社は、良い先輩や海外での活躍の機会に恵まれ長く続けることが出来ました。

                          しかし、会社の経営悪化と共に会社が少しずつ変わり始めました。

                          多くの仲間が会社を去り、経営の悪化で仕事の自由も奪われ、、、

                          海外の会社だけでも死守しなければ、と思った自分が間違いで、逃げるべきだったのかもしれません。

                          環境(地域)要因

                          私は、レフグレン症候群(急性サ症)*と言う、めずらしい型のサ症です。

                          *多彩な症状~レフグレン症候群~:日呼吸会誌 43(12) 2005

                          レフグレン症候群は、日本では特に珍しいが、北欧などでは結構ある型と書かれています。

                          私の場合は、急性サ症に追加で、神経サ症も合併しています。

                          レフグレン症候群 + 神経サ症 → 日本人初の症例 かもしれません。

                          しかし、先にも書きましたが、私は日本初になるような希少な人間ではありません。

                          なので、私が珍しいサ症になったのは、ロシアと言う、地域要因もあるのではないでしょうか?

                          サ症は寒い地域に多いとも書かれています。

                          ロシアは、北欧のお隣の寒い国です。ちなみに、日本では北海道が多いそうです。

                          アレルギー要因

                          サ症の原因は、いろいろな説があって、その一つに「松の花粉説」があると読みました。

                          専門的なことは良く分かりませんが、花粉などのアレルギーが原因かも?と書かれています。

                          ロシアで、体の異変を感じた始めたのは、サ症が良く発症すると言われる春でした。

                          春に発症が多いのは、単に日本の健康診断の時期で見つかやすいから、との説もあります。

                          しかし、私は、この説に思い当たる事があります。

                          ロシアの少し遅い春頃には、トーポリなど、多くの花粉が飛びます。

                          ロシアには、木が多い為か、いろんな木の花粉が年中飛んでいます。

                          住んでいた3年間は、ずっと花粉症のような症状が続いていました。

                           

                          以上に述べた要因が、私の体質と結びつき、サ症発症に至ったのでは?と思ったりするのです。

                          (参考資料:難病情報センターHP)

                          サ症と私の性格

                          サ症になり、原因不明で治療法が無い病気があると知ってビックリしました。

                          今の医学の進歩を持ってしても分からないことが沢山あるんだ、と知りました。

                          私は物事や仕事に集中すると、周りが見えなくなり突っ走りすぎる悪い性格があります。

                          基本的に不器用で、白黒付けて、白に向かって突き進まないと、罪悪感を持ちます。

                          その性格が災いし、海外で突っ走りすぎ、体にストレスを溜めたのがサ症になった一因と考えます。

                          私のサ症の辛い自覚症状に、痛みシビレがあります。

                          不思議なことに、今は、悪い癖がでて私が突っ走りだすと、サ症が痛みやシビレで私に警告を発してくれます。

                           

                          私は(特に難病になって)、この世の全ての事に理屈があると信じています。

                          理屈無く見えるのは、人間が、まだその理屈を解明出来てないだけと思います。

                          難病もその一つで、サ症は何かの理屈で、私の悪い癖や性分にサーモスタットのような働きをしてくれているのでしょう。

                          最後に

                          なぜ、私はサ症と言う希少疾患になったのか?

                          今でも考えることが、よくあります。

                          サ症や膠原病のように、免疫に係わる病気は解明が難しいと、以前の主治医が言ってられました。

                          しかし、原因が分からないが故に、医者でもない私が患者としての意見を持つことができます。

                          私のサ症は、私だけのもの、ひいては、他にこれと言った特徴のない私の「Identity」と思ったりします。

                           

                          最後まで読んで頂きありがとうございました。