このブログは、仕事が楽しくない、仕事が嫌で病みそう、と思われてる方に向けて書いています。

ここでは、集団生活が苦手な私が、会社組織の中で、30年間、楽しく働けた理由とその阻害要因。

どうしても楽しくない時の対処法について、自分の経験に基づき書いています。

多くの人は、働き、お金を稼がなければ生きられない。

人生の大部分を取られる仕事。 ならば、その時間をいかに楽しく過ごすか。

この記事が何かのご参考になれば幸いです。

 

初めまして、モモタ侍と申します。

2017年、50歳を目前に、サルコイドーシス(サ症)と言う指定難病になりました。

私は、急性サ症(レフグレン症候群)で、当時働いていたロシアから帰国を余儀なくされました。

サ症は、体中にできる肉芽(にくげ)と言う できもの が、体の正常な機能を妨げる病気です。

症状は人それぞれですが、私の場合、痛みしびれ疲れ がつらい自覚症状です。

*サ症の詳細は、難病情報センターHP→ さ行→84サルコイドーシス をご参照下さい。

仕事が楽しかった理由と阻害要因

ここでは、私が楽しく仕事が続けられてきた理由を思い起こして書いてみました。

また、楽しい仕事の一般的阻害要因、及び私自身の経験も書いています。

仕事が楽しかった理由(私と仕事)

私は、子供の頃から、集団行動が苦手で、少し不登校気味の人間でした。

熱中できるものも、将来の夢も無く、あっても長続きしない、ある意味、普通の人間です。

そんな私が、不思議と30年間、苦も無く大きな組織で会社員を続けることが出来ました。

仕事の中身で悩んでも、会社に行くのが辛いことはありませんでした。

その主な理由について思い浮かんだことを下記します。

  1. 業務知識、スキルを習得すること。それが繋がり、仕事の全体像が見えて行くのが楽しかった。
  2. 尊敬できる先輩に多く出会えた。
  3. 小さな努力でも、どこかで見ていてくれる人がいた。
  4. 上記が繋がって、漠然とした夢だった海外の会社で経営に係わることが出来た。

仕事が苦にならずに続けられたのは、一つは、海外に出ると言う小さな夢があったこと。

もう一つは、転機、転機で、私を見てくれている人に出会えたこと、だと思います。

私は、会社生活の約2/3を、経理、システム、物流など、その中でも日の当たらない課で働きました。

どんな地味で評価の低い仕事でも、いつか海外で役に立つと思えることが、モチベーションでした。

また、腐りそうになった時、時に厳しく・時に優しくモチベーションを与えてくださる先輩がいました。

私の例ですが「小さな夢や目標」と「人との出会い」が30年間、楽しく働けた理由だと思います。

    サラリーマンvsビジネスマン(楽しい仕事の阻害要因)

    次に楽しい仕事の一般的な阻害要因、と思われることを書いてみます。

    1. 自分の目標となる/尊敬できる人が周りにいない。(人間性、うつわ、実行力など)
    2. 仕事の価値観が合わない人(サラリーマンvsビジネスマン)が自分の評価者。
    3. 給料が安いのに、上が詰まって昇格/昇給チャンスが、限りなく少ない。
    4. 早起きが辛い、通勤が長い。

      上記2.に関し、仕事には①サラリーマン②ビジネスマンと言う2つのタイプが存在します。

      ①サラリーマン:人(=上司)に忠実。「NO」と言ったことも、上司が変われば「YES」と言えます。

      ②ビジネスマン:仕事に忠実。ビジネス理論に反すれば、上司が変わっても「NO」は「NO」です。

      私は②に近かった為、この違いに長年苦しめられました。

      ①と②は、なぜか考え方が合わず、会社では①が圧倒的多数を占めていました。

      ②は、①からみると組織に波風を立てる迷惑な奴、と言う存在のようでした。

      その為、組織の上に行くハードルは高く、評価も低く扱われる傾向にあります。

      しかし、海外の現場では、②はとても有用で、私も海外での10年間は、非常に充実していました。

      まあ、私の会社員生活、トータルするとトントンでしょうか。

      今後は、大きな組織でも発想、付加価値の提案が出来ない人は消えて行くでしょう。

      ビジネスマン志向の人も、日の当たる時代が来そうです。

      尚、上記4.が理由の方は、下記の書籍を読まれることを、お勧めします。

      【参考図書】しょぼい起業で生きていく 著者:えらいてんちょう 出版社:イースト・プレス

      それでも仕事が楽しくないとき

      日本には簡単に仕事を辞めれない/変えれない環境や風土があるように思います。

      「継続は力」、「石の上にも三年」などの格言がそれを象徴しているでしょう。

      私もそんな家庭環境で、これらの格言を真に受けて育ちました。

      海外にいた時、本社の経営難が長引き、トップの一部はいなくなり、一部は思考停止になりました。

      私は、海外の現場だけでも死守しようと、少し身の丈に合わない考えを起こしました。

      バカ正直に困難に立ち向かい、難病発症、大切な健康を失うと言う、やってはいけない結果を招きました。

      仕事を楽しもうとしても、逆らえない流がある、とその時、体験しました。

      もし、そんな流れにのまれたら、健康を死守する為、勇気ある撤退も全然アリ、と今は思います。

      私のような悲劇が、今後一つでも減るよう祈ります。

       

      海外の会社では人事も担当していました。

      海外のキャリア形成は、仕事のスキルを磨く為、会社を変わりながら、待遇改善を図るのが普通です。

      優秀な社員が会社に来てくれた!と喜んだのも束の間。

      翌日には、良い条件のオファーがあったので、退職しま~す、と元気に去っていきます。

      給料が安い、ビジョンが無い、上司がバカ、と言いたい放題言って、去っていきます。

      日本にいると、島国なので世界の動きが見えにくいですが、海外はそんなもんです。

      逃げ方の訓練も、これからのビジネスマンには必要なスキルの一つとかもしれません。

      最後に

      私にとって、仕事は、厳しい=辛い ではありません。

      厳しい先輩について、ボロカスに言われても、その人を尊敬していれば仕事は楽しかった。

      また、新興国での10年の経営体験は、非常にハードでしたが辛いと思ったことはありませんでした。

      私は、組織内の属人的なしがらみで、仕事の基本が捻じ曲げられることの方が、よほど辛かったです。

       

      難病を発症して 生と死についても、いろいろ考えます。

      • この世の物を来世には持って行けない。
      • 残された時間は限られている。

      そこから、悔いのない人生を送る為に、私がこれからやるべきことは

      • 良い人生を送る為に、第一に守るべきは自分の健康
      • 楽しい時間は少しでも多い方が良い(たとえ仕事中でも)。
      • その中で、この国の将来の役に立つ何かを一つでも多くしたい。

      だと思っています。

       

      最後まで読んで頂きありがとうございました。