このブログは、サルコイドーシス(サ症)や難病の仲間に向けて書いています。
ここでは、2017年、50歳目前で急性の難病を発症。
辛い事や良い事もあった難病体験を通し気付けた、自分らしい生き方について書いています。
あくまで個人的な意見ですが、サ症や難病で不安を感じている方々の、何かのお役に立てれば幸いです。
初めまして、モモタ侍と申します。
2017年の夏頃、突然、サルコイドーシス(サ症)と言う指定難病になりました。
サ症*は、肉芽(にくげ)と言う肉の塊(かたまり)が体中にでき、正常な機能を妨げる病気です。
症状は人それぞれですが、私の場合、痛み、しびれ、疲れ が、つらい自覚症状です。
*詳細は、難病情報センターHP→ さ行→84サルコイドーシス をご参照下さい。
大病も良い経験と思えること
サ症は、寛解する可能性も高い反面、その一部は長期化し、難治化します。
他の難病と同じく、サ症の発症確率も約10万人に1人と言われ、そんな病気を発症した私は、とても運が悪ようにも思います。
一方で、難病になって良かった。とは言えませんが、ならなと得られない、貴重な体験を多くしました。
難病にならなければ、決して見る事のなかった世界が、今、私の前には広がっています。
心のつかえが取れたこと
私は、社会的地位や学歴の高い人が多い家庭環境に育ちました。
なので、そう言った価値観に縛られると同時に、そうでない自分に劣等感を持ってきました。
他方、自分の中には、人間性や道徳観など、理想とする人間像がありました。
これら、二つの価値が、矛盾しながらも、私の中で共存していました。
会社に入り、尊敬でき、素晴らしい多くの先輩方に出会いました。
不登校だった私が、集団生活を続けられたのも、それが理由だと信じます。
一方、その多くの方が、(私が勝手に思う)その人にふさわしい役職では、ありませんでした。
それでも、いつかは理想と現実が一致すると信じていました。
しかし、会社の経営悪化と共に、両者のギャップは更に広がっていきました。
海外で、ある程度の権限と責任を与えられ、今度は自分がその理想になろう、と必死でした。
そんな頃、サ症を発症し、理想を叶えること、それ以上に一番大切な健康な体を失いました。
帰国し、入院した病院の相部屋では、多くは命の危機に面した人達を見ました。
多忙な看護師さんを呼びつけては、偉そうな物言いで、命令をする人。
手術前の食制限の言いつけを無視して、盗み食いをする人。(誰のための手術?)
救急で運ばれ、命が危機的状態なのに、家に置いて来たペットの餌を気にしている人。
これら全ての患者さんに、医療従事者は、誠実・平等・粘り強く、接してられました。
この病院の開祖は、次のような言葉を残していて、その精神が脈々と継がれているようでした。
- 名声や利益、安楽な生活を求めるのではなく、人のために生きなさい。
- 人は貧富の差で差別されるべきではない。
- 常に謙虚な心を持ち、相手を大切にしなさい。
- 苦しく、厳しい状況下であっても、万策尽きるまで努力しなければならない。
この医療現場を見ていて、これまでの自分が恥ずかしく思えてきました。
と同時に、長い間の心のつかえが取れた気がしました。
地位や名誉と言った、既存の価値観が薄れてつつある今、自分が尊敬していたもの、自分の絶対的価値に基づき、正直に人に向き合え始めれています。
そこには、もっとフラットで、もっと広がりやつながりのある自由な世界がありました。
この50年間の人生で一番自分らしく、自分に正直に生きれてる瞬間に思います。
この光景を見せてをくれた、サ症に感謝しています。
やりたいことは、その日のうちに
病気以前はやりたいことを先送りにする傾向がありました。
いつかどこかへ行こう、いつか何かを買おう、いつか何かになろう など。
しかし、残された時間は限られているかも? と感じてから、全てを前倒し始めました。
この習慣が流れを変えてくれたように思います。
人生は一度きり、明日何が起こるかわからない、ならば今を生きよう、とサ症は私に教えてくれました。
- 「この先の長い人生」と考えると、辛いこと、苦しいことばかりが思い浮かぶ。
- 「この世で残された時間は限られている」と考えると、一分一秒がもったい。
自分に照らしても、人間はなんと身勝手な生き物か、と思います。
しかし、どうせなら後者のように考えて生きた方が、間違いなく得です。
そんな生き方をしている人を勝ち組と呼ぶのだ、と今は思っています。
楽しいほうを選ぶ
「石の上にも三年(がまん強く辛抱すれば必ず成功することのたとえ)」と言う故事が美徳のように教えられました。
しかし、今の私に3年も我慢している猶予はありません。
また、我慢し過ぎた結果、難病になった感もあります。
言葉は正しく理解した上で、実行しないと、大惨事を招くことを知りました。
どうせ限られた時間なら、我慢より楽しい方を選ぶことにしました。
今は、少しでも多くの楽しい事で時間が満たされるよう行動しています。
これに関連して面白い本を読みました。
早起き、満員電車がムリ! と言う理由で、大学をでて起業し、成功した方が著者です。
表題は「嫌な仕事から逃げても生きていくための生存戦略」です。
サラリーマン制度の陳腐化、正しいやりがいの搾取など、会社員30年の私が見ても、的を射て興味深い内容が多いです。
この本も「楽しいことを選んで生きることの大切さ」を伝えています。
【参考図書】 しょぼい起業で生きていく 著者:えらいてんちょう 出版社:イースト・プレス
50年生きてみて、我慢を全否定する気はありません。
社会生活では、我慢無しには次に進めないことがあるのも事実です。
しかし、我慢が美徳と言った、昭和的な発想には疑問を感じています。
出来る事なら、自分にとってより楽しい方を選択し続ける。
令和の価値観はそんな感じでも良いのではないでしょうか。
いろいろやってみる
休職で仕事を離れて、職場以外に自分の居場所が無いことに愕然としました。
そこで、リハビリ目的で、市の日本語ボランティア、難病者当事者委員、行政書士試験など いろいろ始めました。
始めてわかったことは、私が、いつの間にか、会社と言う非常に狭い世界でしか通用しない人間になっていたこと。
頭の中を、社会に適合するよう調整するのに、かなり苦労をし、時間が掛かりました。
以前、趣味に生きる会社の仲間を軽蔑して診ていた時がありましたが、私こそ了見の狭い、軽蔑されるべき人間だったようです。
私は、ある意味、自分を変える必要がない、仕事に逃げていたのだと思います。
試行錯誤しながらも、活躍の場が広がると、心に良いサイクルが生まれ始めます。
以前、海外で働いていた時、視野のせまい私に現地スタッフが、「バランスが大事」と教えてくれました。
それは、仕事だけでなく、生きることも同じだと、今思います。
いろいろな世界、人々、価値観、考え方にバランスを持って接する。
人間の心身には、そんな状況、刺激が良いのだと思います。
余談
先日、テレビで(コロナ)ウィルスと(人の)免疫細胞の戦いの歴史、みたいな番組を見ました。。
脳を持たないウィルスや免疫細胞でさえ、誰かに使命を与えられ、互いに切磋琢磨しながら進化し続けていることを知りました。
この番組を見ていて「私の難病も、何かの使命を与えられたのかも?」とふと思いました。
サ症の発症前は、いくらもがいても、良い流れは来ず。
発症後は、復職するも病気が増悪し、流れは更に悪くなりました。
茫然自失の状態で休職をとり、流れに身を任せる時間が多くなりました。
しばらくすると、不思議なことに、全てがスムーズに流れ始めました。
私は、無理に自分の理想と現実のギャップを意地になりました。
しかし、結局、流れには逆らえず、最後には体を壊してしまいました。
もし、私も、自分の使命に従順に、流れが変わるのを待っていれば、その内に、良い流れに変わることもあったのでは?と今は思います。
最後に
難病になって、以前より死と言うものが少し身近に感じられるようになりました。
社会的地位も名誉も財産も、次の世界には恐らく持って行けないでしょう。
であれば、生きている間にどれだけ沢山の経験をしたか、どれだけ楽しく生きれたか、次の世代に何を残せるか。
これらが、自分に正直に生き始めた、私の価値基準になっています。