このブログは、人生の折り返しである50歳を目前に突然、避けられない大きな困難に直面し

この先どうしよう?と悩んでいる方々/その糸口すら見えない方々に向けて

私の経験が何かの役に立てば、と思い書いています。(2019年当時の記事をリライトしています。)

 

初めまして、モモタ侍と申します。

2017年春、50歳を目前にサルコイドーシス(サ症)と言う国の指定難病を急性発症しました。

この出来事は、それまで平凡に送って来た人生で直面した一番大きな・避けられない困難でした。

情けなさ、みじめさ、理不尽さ、憤り ありとあらゆる負の感情に心が折れる寸前でした。

しかし、時間経過といろいろな試みにより25年の今、前より楽しく生きている気がします。

その体験が何かの役に立てばと思い ブログに書き残しています。

サ症を発症した頃

2017年 難病発症当時、私は仕事でモスクワ(ロシア)に赴任していました。

子供の頃から集団になじめず、会社に入っても何か組織のあり方に違和感を覚え

日陰のキャリアを歩いてきた私にとって、夢であった海外での10年は まさに適材適所

フィリピン→ロシアでの赴任中に会社の評価・タイトルもあがり、調子にも乗っていた頃でした。

 

春先から手足に関節痛があり、足が腫れてるように感じましたが原因はわからないまま経過

7月頃、急に下肢がパンパンに腫れ、目には虫が飛び(飛蚊症)、足に赤いブツブツができ

胸のレントゲンを撮るとキノコ雲のような白い影 沢山の全体症状がドッと出ました。

 

これは普通ではない、と一時帰国して大阪の大学病院で約一か月間「検査入院」をしました。

「検査入院」とは何の病気か判明しない時に、入院で CT、MRI、血液検査、内視鏡、生検など

あらゆる角度から検査をして、可能性のある病名を絞っていく手続きです。

 

結果、サルコイドーシス(サ症)と言う国指定の難病と判明しました。

サ症は全身至る所に肉の塊(肉芽:にくげ)ができ、いろんな臓器や神経に悪さをする病気で

発見から100年近く経った今も、原因不明で治療法が確立されていません。

経過は自然に治るものもあれば、私のように多くの臓器にサ症があり+ 高齢発症の場合

予後は一般的に悪いと言われています。

日本で待っていた困難

    日本の大学病院での「経過観察」が必要となり海外赴任を断念、帰国となりました。

    「経過観察」とは定期通院して(私の場合)血液、肺、心臓の検査をして病勢を見ています。

    治療法が確立されてない難病はこうやって経過観察をして病気の変化に対応するしかないのです。

     

    仕事はしばらく休んで職場復帰のタイミングを探りましたが、これがまた難しかったです。

    多くの難病は恐らく一生付き合う類のもので、休んだからと言って改善も治りもしません。

    投薬を工夫し、生活を調整し、時間を掛けて別人のように衰えた体に慣れるしかないのです。

    結局、タイミングもつかめないまま見切り発車で19年の年明けに職場復帰をしました。

     

    この年は、50年で初めて経験する地獄のような1年でした。

    ・10年ぶりの日本はある意味外国で人や生活環境に慣れるのが大変でした。

    ・初めて経験する難病の症状が次から次へと襲い掛かってきました。

    ・何より難病に対する会社の人たちの理解が全く得られ無いことが辛かった。

    難病は疲れや痛みなど一番辛い症状が外からみえず、よってさぼっているとみなされました。

    ・会社は外資となり、ドロップアウトした者への風当たりは容赦なく・強く感じられました。

     

    経営悪化で職場が不便な場所に移転し、駅から海風の強い道を2-30分歩かねばならず

    当時、症状が出ていた足を引きずりながら屈辱で泣きなそうになりながら通勤していました。

     

    こんな泣き言は甘すぎる、社会とはそんなもの、昔の私ならそう思っていました。

    しかし、その時辛い目にあわせた会社の人達を恨む気持ちは一生消えません。

    同時にその時助けてくれた、一握りの人の恩も一生忘れません。

    社会的弱者になり初めて、社会の本当の冷たさ/温かさを身を持って知ったのだと思います。

    今は私のように辛い思いをしている人の何か力になれないか?と考えます。

    まず心と体を休める

    職場復帰から1年ほどで、最後は身も心も会社に向かう一歩がでなくなり休職を取りました。

    昭和一桁の両親の下で育った私にはどこか「会社の為に」と言う気持ちが強くありました。

    この出来事で会社に裏切られた気がして「こんな会社すぐに辞める!」と妻に話しました。

    お金の面、これまでの当然の権利として まず会社の福利厚生を使おう、と懇願されました。

     

    当時、働きもせず会社から休暇やお金をもらうなんてみっともない!と思っていました。

    しかし、今は妻の意見が100%正しかったと感じています。

    大企業で創業者が福祉事業もされていたのが幸いし福利厚生がとても充実していました。

    3年間の休職+給与(国の傷病手当含む)保証が、私に金銭的、時間的余裕を与えてくれました。

     

    心(=最後の砦)が折れる前に、ストレス要因から距離を置くとても大切な対処法です。

    休職後、しばらくは、サ症の強い自覚症状、痛んだ心 などにより、廃人状態でした。

    何度も、死にたいような気持ちになりました。

    しかし、何もせず、そんな状態が数カ月続いた後、少しずつ心が回復し始めました。

    ストレスと距離を置いたことで、自然の治癒力が働いたのだと思います。

     

    休職は勇気のいる決断かもしれません。

    周りに遅れを取るとか、戻った時に職場のポジションが無いのでは?とか。

    当時の私もそうでした。

    しかし、健康を失った心身は、悪い流れを更に悪くする可能性が高いです。

    また、仕事から離れてみると、世の中はもっと広く、もっと可能性に満ちていると気付きます。

    何も考えずに、心と体を休める事が大切だと思いました。

    ストレスと難病

    ストレスがサ症の病勢を左右する、と言う症例報告*があります。

    *サ症とストレスとの関与:日サ会誌2009;29:3-7

    私の場合も、当時勤めていた日系メーカーが台湾企業に買収され、また住んでいたロシアは

    欧州からの制裁や通貨ルーブルの暴落などで経済が低迷し、とてもハードなビジネス環境で

    そんな折、難病を急性発症しました。

    50歳前後の体が変わる時期、強いストレスの前に健康はモロくも崩れ去ります。

    この時期に、体を壊したり、亡くなった会社の人を多く見ました。

    無策・無責任な経営トップが会社をおもちゃにして、現場の人間がその責任を負う

    悲しいですが いつの世もその繰り返しで、何も抗うことができない自分の無力さを痛感します。