このブログは、サルコイドーシス(サ症)や難病の仲間に向け書いています。
ここでは、強いストレスが掛かった時期に、発症した私の急性サ症の経験から、どうすれば難病になるリスクを減らせたか?の反省。
その反省に基づき、バランス感覚の大切さなど について、思うことを書いています。
サ症のような難病は、一度なってしまうと、恐らく一生付き合うことになります。
この記事が、サ症や難病で苦しむ仲間の何かご参考になれば幸いです。
初めまして、モモタ侍と申します。
2017年の春頃、50歳を目前に、突然 指定難病の(急性)サ症になりました。
サ症*は、体中にできる肉芽(にくげ)と言うできものが、体の正常な機能を妨げる病気です。
症状は人それぞれですが、私の場合、痛み、しびれ、疲れ が辛いです。
*サ症の詳細は、難病情報センターHP→ さ行→84サルコイドーシス をご参照下さい。
バランスを持って生きる
サ症の発症や病態悪化について、ストレスとの関係性が述べられている症例報告があります。
ご参考:*サ症とストレスとの関与:日サ会誌2009;29:3-7
私の場合も、勤めている会社の経営難が長引き、その悪影響が、当時いた海外の現場に押し寄せた頃、急性の難病を発症しました。
また、強いストレスが掛かった時期に、難病を発症した人を、身近に何人か知っています。
人生後半での難病発症は、心身ともに本当に辛く、苦しい経験です。
サ症になってから、なぜ難病になったのか、ストレスの対処法はなかったか?
何度も何度も考えました。
心・技・体のバランス
「心・技・体」とよく言いますが、発症前、私はこのバランス感に欠けていた、と思います。
特に「体」が決定的に欠けていて、自分もこれを軽視してきた反省が強いです。
40歳目前で、念願かなって海外で会社経営に携わるチャンスを頂きました。
海外赴任の中盤から、その国の経済状況や、本社の経営状態が悪化し、長期化しました。
それらのストレスがピークに達した頃に、50歳を目前に、急性サ症を発症しました。
「心」は10年間の新興国でのサバイバルな環境で鍛えられ。
「技」は日本本社や海外の現場でそれなりに鍛えられていたはずです。
しかし、それを支える「体」が、絶対的に足りませんでした。
例えれば、基礎工事の無い土地上に、良い家財が置かれた、強固な家を建てるようなものでした。
子供の頃から、部活動が続かず、体育会系と距離を置いたバチが、最後に当たったのでしょう。
時既に遅し、ですが「心・技・体」3つ揃わないと大目標の達成はないと思います。
変化を柔軟に受け入れる
「変化」に強い嫌悪感を持つ人は多くいます。
一般的に、変化を受け入れるのは、大変で、その為には気力や体力が必要です。
しかし、変化を拒み続けるなら、視野は狭まり、頑固になり、人にも敬遠されていくでしょう。
それで良いと言っても、人は人とのつながり無しには、生きれない生き物だと思います。
10年間の海外生活で、異なる考え方の人々、文化、風習を、自分なりに柔軟に受け止めてきました。
一方、本社が買収され、企業風土/文化が変わっていく、その変化を受け入れれない心がありました。
日本からの大きな変化の波に、私と心と言う、ちっぽけな堤防は一瞬で決壊しました。
もっとしなやかで、柔軟に、しなるような心であれば。。。
かと言って、会社を去ったり、魂を売ったり、と言うことが性格上出来たのかは疑問です?
いずれにせよ、時に強固に、時に柔軟な、そう言った心の鍛錬が必要と思いました。
生きがいを見つける努力を続ける
子供の頃から、将来の夢とか、熱中できるものとか、何もない人間でした。
一方で、モノの見方や考え方が、周りの人と違うようで、変わり者とか、頑固とかよく言われました。
結果、生きがい見つけを継続せず、少し自信なく、何かに劣等感を持って、生きてきました。
親や周りの顔色を見ながら、なんとなく大学に行き、なんとなく就職し、それでいて融通が利かない。
間違っても良いから、もっと、強く・自信のある自分の積み上げをしておくべきだった、のでしょう。
この姿勢・生き方が、ストレスの大波(難病の引き金)を目の前にして、マイナスに出ました。
高いストレスの波を前にして、それを乗り越える強さも無い。
一方、融通の利かなさから、逃げたり、交わしたりもできない。
結果、難病になり、それまでの小さな積み上げを失い、それ以上に、健康な身体を失いました。
人は生まれる時に、この世で体と言う服を借り、死ぬ時にお返しする、と本で読みました。
私は、借り受けた大切な服に穴をあけた、礼儀に欠ける行いをしました。
「生きがいを見つける」と言うのは、難しいことかもしれません。
ましてや、それを仕事にすると言うのは更にハードルが高いと実感します。
しかし、なんとなく 流されてきた私は、肝心な所で、自分の進退を決める根拠に欠けました。
たとえ、生きがいを見つけれないまでも、見つける努力は継続すべき、と反省します。
個の力を高める
もう一つの大切なスキルは、原点に戻って、個を高めることだと思います。
生きがいを見つけること、個を高めること、いずれも生きる自信や確信につながるでしょう。
個を高めるとは、即ち、学び続けること、だと思います。
知り合いの偉い法学者にお会いしたとき「一生勉強」と言ってられました。
日本人は、学校を卒業すると勉強をしなくなるが、そこからが本当の勉強の時間だと。
これも、時既に遅しですが、今、休職期間を使って、行政書士の勉強をしています。
法律と言うと、堅苦しく、窮屈なものと、勝手に決めつけていました。
しかし、学んでみると、人が自由や平等を勝ち取る為の、苦悩や喜びが反映された歴史小説のようです。
私の職種だった管理や経理なんかより、ずっと面白く、興味深いです。
学ぶことの最終目的は、自分で考えた「自分のオリジナル」を作ることだと思います。
会社に頼らなくても、自分のオリジナリティを武器に、最後は、自分の腕一本で、何とか食べていける。
もし、そんな自信があれば、ストレスが掛かった時でも、難病のリスクから逃れられるかもしれません。
(参考図書: 考える練習帳 著者:細谷功 ダイヤモンド社)
とは言え、無理な時は逃げる
以上、いろいろ書いてきましたが、上記を全て備えるのには大変な努力が必要です。
私のような、常人では一生無理かもしれません。
なので、非常事態では、迷わず逃げる訓練をしておくことも大切だと思います。
継続は力、石の上にも三年、と言った格言通り、日本には、逃げることを嫌う文化があります。
周りの人も、もう少し考えてとか、我慢してとか、奮起を促す傾向があります。
それが仕事の場合、周りの人にとっても死活問題だから、当然なのでしょう。
が、その時、自分はすでに崖っぷち、どころか既に、崖の上につま先立ちの状態かもしれません。
現に、私はそうでした。
私は、時期さえ間違えなければ、逃げることは決して悪いこととは思いません。
先の戦争も、もっと適切な時期に、降伏して(逃げて)いれば、沢山の尊い命が救われていたでしょう。
サ症になる前、地位・学歴・お金など 相対的価値(人と比べて自分はどうか)の中で生きて来ました。
しかし、それらのほとんどを病気で失いました。
そのおかげで、今は、自分の正誤、善悪にそって、価値判断が出来るようになりました。
これを絶対的価値観(自分はなぜ存在するのか など)と言うそうで、これを磨くと、人間として成長できるそうです。
最悪、難病になっても、また新たな世界が見れたり、学びがあったりします。
生きていると言うことは、それだけで、とても意味深いと感じます。
最後に
今の世界は、従来のやり方、過去の価値観だけでは、新しい価値創造が難しくなりつつあります。
世界的に付加価値の高い起業は、米国や中国のアイデアに富んだ新しい企業です。
ネットにより、社会変化のスピードは速く、日本は、少子高齢化の加速で、待ったなしの状態です。
より、心・技・体のバランス、生きがい、個を高める、これらの重要性が高まっていくと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。