このブログは、私の父が高齢で始めた透析、それを見守った体験談を書いています。
初めまして モモタ侍 と申します。
この記事は、昨年末(2021年末)に亡くなった父が4年前、90歳を前にして始めた透析。
それを、家族として見守った経験、直面した課題など 実体験に基づき書いています。
同じような状況に直面している方々の、何かご参考になれば幸いです。
高齢の父の透析
ここでは父の透析に至る経緯、その後の経過について書いています。
父の透析開始の背景
私の父は、4年前、89歳の時、以前から悪かった腎機能が低下しました。
病院からは、透析をしないと1カ月も命が持たないと言われました。
その時、父の体は元気でしたが、ひどい物忘れの症状が出ていました。
脳の画像に問題はなく、腎機能低下で脳にキレイな血がいっていない可能性を指摘されました。
なので、透析で改善する可能性もある、との主治医の話でした。
家族(主に父と母)で話し合い、父は透析を受けることになりました。
今考えると、透析開始前に、今後について家族でもっと話し合っておくべきだったと思います。
当時、私達は、透析の知識/どのような経過をたどるのか、知りませんでした。
また、私自身、難病を発症し、10年ぶりに海外赴任から帰ったばかりの不安定な時期でした。
そんな中で、父の透析は始まりました。
透析を始めてみて
透析は、毎週3回(月・水・金)で、午前中4~5時間/回 行われ、一生続きます。
祝日、お盆、お正月でも、休まずに行かないといけません。
なので、ポイントの一つは、近所の病院を選ぶことと思います。
京都にあるその病院は、実家から車で10分ほどで、介護タクシーに送迎してもらいました。
中規模の私立病院でしたが、大学病院とも連携し、最後まで心のこもったサポートをして頂いた事に、今も感謝しています。
透析を開始して、1~2カ月程経つと、医師の見解通り、父の物忘れが急速に改善しました。
父は仕事人として、80歳近くまで現役で、しっかりとした人でした。
一瞬、昔の父が戻ったようで、家族みんなで喜びました。
しかし、時間が経つにつれ、父であって父でない感覚に、母も私も陥っていました。
透析開始後発生した問題
ここでは、透析開始後に発生した父親の混乱、それに巻き込まれた家族の苦難について書いています。
せん妄、相手の言い分を聞く大切さ
透析を始めて2年近く経過した頃から、過去になかった、父の奇妙な行動が始まりました。
- 夜中に庭を巡回したり、台所を掃除する。
- 日中、庭の木の枝を切り、それを焼く。
これらの行動は、徐々にエスカレートし、私は危機感を覚えました。
特に、庭での焼きものは、火事のリスクから、一番頭を痛めました。
厳しく注意をしてケンカになったり、消防署にも注意しに来てもらいました。
しつこく説明し注意すると反省するのですが、数日経つとまた繰り返します。
注意され続ける父はつらそうで、母や我々もストレスがピークに達していました。
私は、これは認知症だと思い、神経内科に診てもらいました。
しかし、今回も脳画像に異常はありませんでした。
そこで高齢者を多く診てられる心療内科を紹介してもらいました。
心療内科の先生は、入院などの環境変化による、せん妄(意識障害)の可能性を指摘。
せん妄は、高齢者に多くみられ、夜中に症状が出ることが多いとのこと。
眠剤(ハルシオン)やビール(アルコール)が、せん妄を助長した可能性もあり、眠剤を変え、ビールをこっそりノンアルに変え、少し症状はおさわりました。
また、「なぜ焼きたいのか」聞いたところ「庭の雑草に誰かが火を付けたら火事になる」との答え。
それは、あんただろう?と思いながらも、庭の雑草を刈ったら、ピタリと焼き物が止まりました。
素人判断しない大事さ
親が奇妙な行動をした時、私のように認知症と思う人が多いそうです。
しかし、せん妄が原因だったり、内臓疾患や老人性うつなど 他の原因も多いと本で読みました。
高齢者の不可解な行動は、認知症やせん妄などさまざまな複雑な要因が入り混じるようです。
今回も、本当にせん妄か、なぜそうなるのかは、医学的にわかりませんでした。
ただ、認知だからしかたない、と放っておけば、更に悪化していたことでしょう。
素人判断せず、専門医に診てもらうことが大切と感じました。
【参考図書】 著書:先生!親がボケたみたいなんですけど 著者:和田秀樹 出版社:祥伝社
透析を選択する難しさ
父の透析は3年が経過しました。
その頃から、体への負担が大きいのか、透析後に発熱することが多くなりました。
水の溜まる量も多く、透析の時間も伸び、透析後はグッタりする日が増えました。
シャント(透析の為、動脈と静脈をつなげた血管)の拡張手術の頻度も増えました。
病院では、食事療法を守らないとか、いろいろ注意されていました。
家では、(恐らく)せん妄による問題を度々起こし、家族から怒られます。
父は、口癖のように「長く生き過ぎた」、「生きる意味がない」と言っていました。
生き甲斐だった仕事も、好きなゴルフも出来ず、ただつらい透析を続ける毎日。
透析が本当に良かったのか?悩むこともありました。
父の透析を振り返って
父は、結局、昨年の年末に92歳で亡くなりました。
透析に行く時、車の乗り降りで転んだのがきっかけで入院、その1か月後の大往生でした。
火葬場で、父の骨を見た時、とてもしっかりした足の骨に反して、胴体周りの骨はほとんどありませんでした。
やはり、透析によって、無理に生かされていたのかな?と感じました。
同時に、入院の1か月を除く約4年間、なんとか健康寿命を保って生きれたのも透析のおかげでした。
最後に
最近ニュースになった京都のALS患者(難病の仲間)の安楽死の事件。
私が直面した父の透析など、本人が死より辛い思いをしている時、どうすれば良いか?考えます。
医学の進歩に伴って、人は長生きできるようになりました。
これは、間違いなく、素晴らしいことだと思います。
ただ、生きがいを持ち、辛さのない長生き の方法を、みんなで考えないと「長生き」=「幸せ」にならないのではと?と感じました。
最後まで読んで頂きありがとうございました。