このブログは、難病やサルコイドーシス(サ症)の仲間に向け書いています。

ここでは、5年前(2017年)の春に発症した私のサ症、約2年前から始めたステロイド治療*の経過、

(ステロイド減量中に増悪した為、途中から免疫抑制剤、煎じ薬を併用しています。)

3年の休職を経て、この4月から新天地で始めた仕事について書いています。

何かのお役に立てば幸いです。

人体の副腎皮質と言う器官から分泌されるステロイドホルモンを基礎に作られた薬

 

初めまして、モモタ侍と申します。

50歳を目前に、突然、サルコイドーシスと言う指定難病になりました。

サ症は、体中にできる肉芽(にくげ)と言うできものが、体の正常な機能を妨げる病気です。

症状は人それぞれですが、私の場合、痛みしびれ疲れ がつらい自覚症状です。

*サ症の詳細は、難病情報センターHP→ さ行→84サルコイドーシス をご参照下さい。

ステロイド2年、サ症5年の経過

2020年の夏にステロイド剤導入の為、1か月の入院をして約2年が経とうとしています。

プレドニン30mgから始めて、去年の春には8mgまで減らしたところで、増悪を経験。

12mgに戻し、今度は「免疫抑制剤」と「煎じ薬」を併用しながら、減量に取組みました。

そこから、約1年かけて、この5月に課題の8mgに再到達しました。

 

この2年間、ステロイドの大きな副作用は経験していません。

あえて言えば、ムーンフェイス?(顔が少しふっくらする)くらいでしょうか。

ただ、将来の副作用のリスクを考えると、1mgでも減らす努力は続けていく必要があると考えます。

 

2度目の8mgへの減量時、呼吸のしんどさ、痛みも感じ、再増悪の嫌な予感がしました。

新しい試みの「免疫抑制剤」や「せんじ薬」の意味はなかったのか?とガッカリもしました。

しかし、その辛さは減量時の一時的なものだったのか、2カ月経った今では体調も安定して7mgも見えそうな感じです。

 

サ症になって5年、ステロイドを始めて2年、この病気とも長い付き合いになります。

その中で感じる体調の波、一喜一憂の波は、何年たっても無くなるものではありません。

休職 → 転職、そして3年ぶりの仕事再開

4月から新しい仕事を始めました。

3年ぶりの仕事で、週5勤に耐えられるか?不安も大きかったですが、職場にも恵まれ、仕事内容も楽しい。

今の所、大きな問題もなく、無事GWまで来れたのは、自分にとって大きな一歩です。

仕事を再開し、集中する中、痛みやシビレは忘れいている時が多いです。

神経内科の先生に、痛みやシビレは、体がその感覚を覚えてしまうことがある。

なので、他のことに集中して忘れる事も大切と言われました。

その通りだと今感じています。

 

一方、働くことで体に負担が掛かっているのも事実です。

いざ仕事を再開すると、5年前、海外でバリバリやっていた頃の仕事のペースに戻りそうになります。

気持ちも前向きになりすぎ、夜も仕事のことを考えると眠れない。

しかし、体を壊した時の、失敗は決して繰り返してはならない。

時々立ち止まり、前のめりになりすぎる心にブレーキを掛けるようにしています。

持病を持ってから初めての仕事再開、試行錯誤の日々。

ペースを上手く作っていけるか、一日一日が正念場です。

 

3月末に前の会社を退職しました。

そして、大阪市阿倍野区にある、社会福祉法人で 働き始めています。

 

5年前 海外で、会社の経営難に伴う仕事の負担・ストレスが掛かりサ症を発症しました。

私は、帰国し即入院、半信半疑で復職するも、病気が増悪し1年で休職。

見も心もボロボロ、廃人のようになりました。

 

当時、会社が倒産の危機を迎える中で、多くの仲間が会社を去りました。

病気を発症し亡くなった方、障害を持った方、私のように希少難病になった人も多くみました。

人間の体は非常に繊細でもろく、簡単に壊れてしまうことを、その時、体験しました。

会社を私物化し、稚拙な経営で社員を危険にさらし、挙句に見捨てて逃げ去った。

当時の経営陣への恨みは一生消えません。

それは、人間の無責任さが引き起こした、人災であったと今も信じています。

このような悲劇が、一例でも減る事を願ってやみません。

 

一方、社会復帰まで支えてくれた支援者、会社の休職制度、倒産の危機から救ってくれた台湾の会社、行政の仕組み(傷病手当、医療制度)には感謝しかありません。

前の会社のご縁で、その創業者が始めた社会福祉法人で、今働かせてもらっています。

「ご縁」と「恩返し」

3年前、休職を取った頃は、心も体もボロボロでまるで廃人でした。

それでも、人は本能で少しずつ前に進もうとするもの。

散歩や野菜作りなど、今出来る小さな事を始めました。

心が少し元気になると、外国人に日本語を教えたり、難病・障害者の当事者ボランティアにも参加しました。

10年間お世話になった海外の人達の役に立ちたいと法律(行政書士)の勉強も始めました。

約2年前に始めたステロイド治療も功奏し、血液マーカーも正常値に戻り、生活の質も大幅に改善。

ステロイド減量中に、一度は増悪を経験しましたが、その後も生活の質を保っています。

健康状態が長く安定すると、徐々に元気だった頃を思い出せるようになりました。

 

休職期間も終わるので退職を考えてた時、新しい仕事に誘ってもらいました。

誘って下さったのは、前会社の創業家の方でした。

考えると、私は、何かのご縁で導かれてきたように思います。

バブル全盛期、周りの人が複数の内定をもらう中、私だけは、徹底的に面接を落ちました。

そして唯一採用してもらった会社、面接官の笑顔を今も覚えています。

入社してからは、このご恩を返そうと、自分なりにベストを尽くしました。

組織で動くのが苦手な私が、良い先輩にも恵まれ、夢だった海外赴任もさせてもらいました。

会社の経営が悪くなり、そのあおりを受けて難病になりましたが、今度は、会社の手厚い休職制度に救ってもらいました。

そして、今度は新しい仕事を紹介してもらい。。。

 

新しい仕事は、社会福祉法人で、保育所、特別養護老人ホームなど、人の一生が詰まっています。

福祉業界は、志を持って入る人が多いのか、優しく、奉仕の精神と向上心が高い社員さんが多いです。

日々、命に向き合う仕事だからか、目の前の現実から逃げない人も多いです。

 

再就職までの3年間、多くの支援者に支えられ、元気をもらいました。

また何かの強いご縁で、新しい仕事を頂けました。

これらの全てに、33年間の知識と経験の蓄積を全て注ぎ、恩を返して行こうと思います。

最後に

社会福祉の業界に入って、難病患者として、当事者目線に立って新しい試みをしたいと思います。

子供、お年寄り、難病の人、障害のある人、外国の人など 多様な人が集まってリラックス出来る場。

そばには、介護士さんや保育さんなど、その道のプロの目がある安心できる場。

そんな場所になるような、コニュニティカフェを検討しています。

メーカーと違って、需要がまだまだある業界、提案できることが一杯あります。

また、拡大して、目標を達成する事が社会の為にも役立つ。

なんと素晴らしい業界だろう、と思う、新入社員1か月目の現状です。

 

最後まで、読んで頂きありがとうございました。